検閲によるフィルムの切除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 05:35 UTC 版)
「無法松の一生 (1943年の映画)」の記事における「検閲によるフィルムの切除」の解説
本作は2度の検閲の惨禍に遭った作品として有名である。 撮影前に作品はシナリオの事前検閲を受けたが、その時から問題があった。無法者が主人公であること、賭博場面、喧嘩場面、軍人の未亡人に対する一方的な恋情などは、内務省から「好ましからず」との注意事項の付箋がつき、賭博場面は全面的に削除、他は演出上の要注ということで通検された。稲垣は「この作品は尋常ならば通検しないところであるが、伊丹万作と私の実績によって通検したといえる」と語っている。この事前検閲の内容について、伊丹も「初稿には賭博のシーンが有ったが、それは脚本検閲で完膚なき迄に削除せられたので、私は改めて其のシーンを除去し、構成をやり直した。其の爲、今度は初稿に無かった松五郎の少年時代の挿話を入れることが出来、結果に於ては惡くなってゐないと思ふ」と語っている。 作品は完成後に検閲保留処分に付され、内務省による検閲で10分余りの部分が切除された。この検閲で切除されたのは、「松五郎と将棋を差していたぼんさんが、松五郎と未亡人との関係を邪推し、松五郎を指さして笑う箇所(9秒)」、「居酒屋で熊吉が松五郎に嫁を貰うことを薦められるも断る箇所及び、松五郎が壁に掲げてある美人画のポスターを貰う箇所(2分37秒)」、「松五郎が未亡人に想いを告白する箇所及び、松五郎が居酒屋で酒を飲む箇所及び、松五郎が雪中に倒れる箇所(7分50秒)」、「松五郎の生涯が走馬灯のように回想される場面中の、夫人の顔の大写しの箇所(7秒)」の4箇所で、合計10分43秒の部分である。また、出来上がった作品を見た検閲室長が、松五郎が未亡人を訪ねるシーンで、「これは夜這いではないか。俥引きが軍人の未亡人に恋とは言語道断である。このような非国民映画は絶対に通さんぞ」と激昂して検閲官を叱責し、検閲官はこの作品の芸術性を主張するも聞き入れてくれなかったというエピソードがある。 戦後になると今度は、GHQによる検閲で封建的だとされたシーンが切除された。この検閲で切除されたのは、「日露戦争大勝祝賀の提灯行列の箇所」、「吉岡敏雄が学芸会で唱歌・青葉の笛を歌う箇所」、「青島陥落を祝う提灯行列の時に、成長した敏雄らが軍歌(「アムール川の流血や」など)を歌う箇所」の、計8分程の部分である。 稲垣はこの無念を晴らすため、1958年(昭和33年)に東宝製作・三船敏郎主演でリメイクして、伊丹のシナリオの完全版を撮り上げ、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。 「無法松の一生 (1958年の映画)」を参照 近年、宮川一夫の遺品の中からGHQによってカットされた場面のフィルムが発見され、2007年(平成19年)9月28日にその場面が特典映像として収録されたDVDが角川エンタテインメントから発売された。しかし、内務省によってカットされた部分はスチル写真で現存するのみで、フィルムは今もって発見されていない。
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