内務省による検閲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:44 UTC 版)
「日本における検閲」の記事における「内務省による検閲」の解説
内務省(警保局図書課、1940年12月検閲課と改称し情報局第4部第1課兼務)は、讒謗律、新聞紙条例、出版法、新聞紙法、映画法、治安維持法などに基づき、書籍、新聞、映画の記事・表現物の内容を審査し、不都合があれば、発行・発売・無償頒布・上演などを禁止や一定期間差止する検閲を行った(放送に関わる内容については、逓信省および、のちに加えて情報局が所管した。後述)。行政処分として現物の没収・罰金、司法処分として禁錮刑を行った。戦前期日本における検閲は行政処分が突出していた点で諸外国にほとんど例を見ないことが認められ、「内務大臣の行政処分が,司法審査をも完全に排除し,最終的な判断としての強制力を持っていた点に,その特質があった」。 日露戦争のあと、内務省は逓信省に通牒し、極秘のうちに検閲を始めた 。 1928年には検閲に関する内部資料『出版警察報』が刊行されたことで、これ以降の検閲については詳細な記録が残っているが、1923年9月1日に発生した関東大震災により内務省も被災、発禁となった図書類や資料などを保管していた倉庫が火災で焼失したため、1923年以前の検閲に関しては不明な点が多いという。 内務省の検閲対象は民間であり、軍部やその外郭団体は管轄外であった。 1941年(昭和16年)10月4日に、臨時郵便取締令(昭和16年勅令第891号)が制定されて、法令上の根拠に基づくものとなった。
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