内務省から貴族院へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 04:05 UTC 版)
1917年10月同じ長野県人で内務省出身の貴族院議員伊沢多喜男の知遇を得て内務省に入省。沖縄県属となり、那覇警察署長、県産業課長を経て1918年県警視、1919年県理事官となる。沖縄での3年間では地元の青年たちと意気投合し、古い慣習を改める運動に取り組んだり、那覇を自由貿易港とする主張を展開するなどしたという。 1921年1月貴族院書記官に転任、守衛長。11月に速記課長兼議事課兼庶務課書記官。1921年第7回万国議員商事会議(リスボン)に出席する伊沢多喜男ら貴族院議員の随員として欧米(3月25日横浜港出発、米国サンフランシスコ‐ニューヨーク‐英国ロンドン‐欧州各地に滞在し10月帰国)へ出張。以後、30~40歳代に欧州3回、中国大陸5回、南洋諸島・フィリピンなど世界各国への長期出張を経験し国際的な広い視野を養った。 1922年関東大震災後の臨時震災救護事務局事務官、1933年行政裁判所評定官を兼任。1938年議事課長兼庶務課長兼委員課書記官兼警務課書記官、1940年12月4日瀬古保次の後をうけて第9代貴族院書記官長に就任。
※この「内務省から貴族院へ」の解説は、「小林次郎」の解説の一部です。
「内務省から貴族院へ」を含む「小林次郎」の記事については、「小林次郎」の概要を参照ください。
- 内務省から貴族院へのページへのリンク