瀬古保次とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 瀬古保次の意味・解説 

瀬古保次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 06:27 UTC 版)

瀬古保次

瀬古 保次(せこ やすつぐ、1887年明治20年)8月3日[1] - 1964年昭和39年)6月9日[2])は、貴族院書記官長賞勲局総裁、貴族院勅選議員。

経歴

神奈川県三浦郡逗子町(現在の逗子市)で、瀬古保次郎の長男として生まれた[1]1915年大正4年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、文官高等試験行政科試験に合格した[1]東京府属、同豊多摩郡長を経て、貴族院書記官となり、内務参事官、同事務官行政裁判所評定官を兼ねた[1][2]。貴族院事務局議事課長を経て、貴族院書記官長に就任した[3]

1940年(昭和15年)からは賞勲局総裁に転じた[4][5]

1946年(昭和21年)2月5日には貴族院議員に勅選され[6]同成会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

脚注

  1. ^ a b c d 『大衆人事録 第3版』セ之部4頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』132頁。
  3. ^ 『人事興信録 第12版 上』セ6頁。
  4. ^ 『官報』第4175号、昭和15年12月5日、p.160
  5. ^ 『人事興信録 第14版 上』セ5頁。
  6. ^ 貴族院要覽 昭和21年12月増訂 丙』貴族院事務局、1947年、57頁。 

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


公職
先代
長世吉
貴族院書記官長
1938年 - 1940年
次代
小林次郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「瀬古保次」の関連用語

瀬古保次のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



瀬古保次のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの瀬古保次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS