かつら‐たろう〔‐タラウ〕【桂太郎】
桂太郎
桂太郎
桂太郎 かつら たろう
山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。戊辰戦争に従軍。明治3年(1870)ドイツ留学。8年(1875)ドイツ公使館付武官となり再び渡欧。ドイツの軍政の調査・研究に従事。11年(1878)に帰国後、山県有朋の下で兵制・陸軍官制の改革を行う。19年(1886)陸軍次官。日清戦争では第3師団長。第2代台湾総督、東京防禦総督を経て、第3次伊藤内閣の陸相となり、第1次大隈・第2次山県・第4次伊藤各内閣でも留任した。その後、西園寺公望と交代で首相をつとめ(桂園時代)、日英同盟締結、日露戦争、日韓併合などを主導した。元老として内大臣をつとめたのち、再び首相となるが、憲政擁護運動により退陣した。
キーワード | 陸軍軍人, 政治家, 首相 |
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桂太郎
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 05:02 UTC 版)
桂 太郎(かつら たろう、1848年1月4日〈弘化4年11月28日〉- 1913年〈大正2年〉10月10日)は、日本の陸軍軍人、政治家。内閣総理大臣(第11代、13代、15代:第1次桂内閣、第2次桂内閣、第3次桂内閣)、台湾総督(第2代)、陸軍大臣(第5代)、内務大臣(第18代)、文部大臣(第23代)、大蔵大臣(第13代)、貴族院議員、内大臣、外務大臣(第17代)などを歴任。日露戦争時の内閣総理大臣で、西園寺公望と交互に総理職を務めた期間は「桂園時代」と呼ばれた。軍人としての階級は陸軍大将で、栄典は、従一位大勲位功三級公爵。「元老の一人であった」という説もある[注釈 1]。元老の井上馨とは義理の親子の関係であり、児玉源太郎、川上操六とともに「明治陸軍の三羽烏」と称された[要出典]。
- 1 桂太郎とは
- 2 桂太郎の概要
桂太郎
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「「坊っちゃん」の時代」の記事における「桂太郎」の解説
当時の首相。山縣のまさに「太鼓持ち」で、「坊っちゃん」における「野だいこ」のモデル。
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「桂太郎」の例文・使い方・用例・文例
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