桂太郎、児玉源太郎との盟約
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「杉山茂丸」の記事における「桂太郎、児玉源太郎との盟約」の解説
杉山は暢気倶楽部などを通じて陸軍の児玉源太郎と親しく交際し、対露開戦に向けて努力することを盟約した。のちにこの盟約には、明治34年(1901年)に総理大臣となった桂太郎も加わった。桂・児玉・杉山の三者による活動は、対露戦争回避、日露協商を主張する伊藤博文への対処が中心となった。明治35年(1902年)1月、伊藤博文がロシアとの協商を目的にペテルブルク滞在中、桂内閣が電撃的に日英同盟を締結したのは、伊藤を「日露戦争の戦死者第一号」にしようという杉山の献策に従った政略であった。また、明治36年(1903年)7月、桂内閣を攻撃していた伊藤博文が枢密院議長に親任され政友会総裁を辞任せざるを得なくなったのも、杉山が桂や児玉に伊藤の祭り上げを献策した結果であるという。 児玉源太郎との結びつきについては、東京築地本願寺境内に日露戦争戦勝を記念して杉山が児玉に茶釜を贈ったことを記念する「凱旋釜」碑がある。
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