智積養水(ちしゃくようすい)
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智積養水
西勝寺付近 | 疏水の概要 | |
■疏水の所在 三重県三重郡菰野町神森を源に三重県四日市市智積町周辺(約30.0ha) ■所在地域の概要 三重県の北部に位置し、東は伊勢湾、西は鈴鹿山系に至る温暖な地で工業都市として発展し、現在は臨海部に展開する石油化学コンビナ−トや、駅周辺の県内最大の商業地域を核に、中京圏有数の産業都市である四日市市の西部に広がる農村地域である。 ■疏水の概要・特徴 智積養水の起源は定かではなく正徳元年に四日市陣屋代官原清左衛門正和が、三十三間筒を官費で伏せ替えたと初めて文献に現れました。安永6年に森村と智積村の水論訴訟が起こり、この訴訟は延々10年間も続き天明6年にようやく和解されましたが、農業用水をめぐって、干ばつの度に水争いが起こりました。こうした水争いを繰りかいしながらも、地域の最も身近な生活用水・防火用水としておおいに利用されています。 |
智積養水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/17 08:19 UTC 版)
智積養水(ちしゃくようすい)は、三重県三重郡菰野町から四日市市智積町(ちしゃくちょう)にかけて流れる用水路である[1]。
- ^ a b c d e f g h 三重県高等学校日本史研究会 編(2007):46ページ
- ^ a b c d e f g h i 四日市市 編(2001):1000ページ
- ^ 森(1988):231ページ
- ^ a b c d 森(1988):234ページ
- ^ “智積養水の観光スポット情報”. 観光三重(かんこうみえ). 三重県観光連盟. 2016年4月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年4月20日閲覧。
- ^ 森(1988):233ページ
- ^ a b 森(1988):232ページ
- ^ 三重県高等学校日本史研究会 編(2007):47ページ
- ^ a b “智積養水|四日市”. ジャパンホッパーズ. 2016年4月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年4月20日閲覧。
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