普通銀行への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:48 UTC 版)
拓銀法廃止を控えた1949年(昭和24年)には、政府保有株式を放出し東京証券取引所に上場していた(証券コード:8312)。翌1950年(昭和25年)、旧拓銀の普通銀行業務を継承し、正式に民間銀行として再発足。1952年(昭和27年)をもって開業以来の拓殖債券(金融債)の発行を停止し、この機能は日本長期信用銀行へ移った。1955年(昭和30年)には発行済債券をすべて償還、同時に全国地方銀行協会を脱退し都市銀行の仲間入りを果たした。 この中で本州への出店や海外拠点の整備を進めつつも、やはり拓銀は北海道における密接な地域的基盤に成り立つ銀行であり、北海道の大多数の家庭・企業が「拓銀さん」に預金口座を持ち、金額や内容を問わず「拓銀から融資を受けている」「拓銀に当座預金口座を持っている」ことがその企業の信用度を測るバロメーターであると同時に経営者のステータスとなるほどだった。北海道・札幌市を始めとする道内市町村のほとんどから指定金融機関の指名を受け、都銀13行中最小の規模ながら「道民銀行」としての地位を確立、1965年(昭和40年)3月まで、北海道宝くじの発行も受託していた。 戦時中に着手した重厚長大産業への融資も引き続き斡旋され、産炭・製紙・製糖など、その後主要な取引先となる企業への融資も増えた。貸出金の4割を法人部門が占めた時期もあり、普通銀行・都市銀行への転換とともに営業基盤は拡大。製造業の弱い北海道経済を支える存在となっていた。このため北海道財界に絶大な影響力を持ち、北海道経済連合会の歴代事務局長を輩出、北海道経済同友会代表幹事や北海道商工会議所会頭には拓銀頭取が幾度も就任した。 北海道財界が共同で出資・寄付する話が持ち上がると、拓銀・北電が負担割合を決定した上で、残りを他の企業に割り振るのが慣例となっていた。金融機関同士の案件の場合も、拓銀4 : 北海道銀行3 : 北洋銀行2 : 札幌銀行1の負担比率とするのが暗黙の了解だった。 高度経済成長期以降、首都圏(主に東京・埼玉)へ支店を多数出店するようになるが、東京都心部以外は郊外住宅地の駅近くに店舗を構えるパターンが多かった。 1962年(昭和37年)頃から、ヒグマをモチーフにした「たくちゃん」をキャラクターに制定。1989年(平成元年)からサンリオの「みんなのたあ坊」をキャラクターに採用、1990年代には菅野美穂や渡辺満里奈、北海道が舞台のテレビドラマ『北の国から』に出演した吉岡秀隆、北海道出身の益田喜頓らをCMキャラクターに採用していた。テレビCMにおけるキャッチコピーは「あなたの夢 お預かりいたします」「あなたの物語、お預かりします」であったが、印刷物においては70年代より破綻時まで「こまやかな おつきあい」をキャッチコピーとしていた。
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