第百四十六国立銀行時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第百四十六国立銀行時代の意味・解説 

第百四十六国立銀行時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 07:51 UTC 版)

廣島銀行 (1897年-1920年)」の記事における「第百四十六国立銀行時代」の解説

第百四十六国銀行1879年明治12年4月21日不換紙幣国立銀行発行券)を発行する銀行として資本金80,000をもって設立され同年12月7日広島播磨屋町(現在の広島市中区本通)に開業した当行広島県下では2番目の国立銀行であったものの国立銀行全体としてみれば最末期設立であり、開業設立申請された153国立銀行の中では最も遅いものであった初代頭取となったのは高田郡桑田村(現・安芸高田市)の製鉄業者・高杉右衛門で、広島区および郡部の有力商人士族設立出資したが、10名の設立発起人のなかに広島城下(現在の広島市中心部)の商工業者参加はなかった。本店開業後まもなく同区中島新町現在の中区中島町)に移転した発足当初当行は、尾道福山大商人大地主出資により当行の倍以上の180,000円の資本金設立され第六十六国銀行異なって経営は不安定であり、払込未済分は30,000円に達していた。そのため1881年明治14年)には広島県庁指導下に入り、県の官吏である亀岡勝知が支配人となってからは広島の有力商人経営参加するようになり、漸く軌道に乗ることとなった。また1884年始まった宇品築港事業に対しては、全国市場直結する輸送網のインフラ整備という観点から積極的に支援行った1882年明治15年)の日本銀行条例および日本銀行開業ともなって日銀紙幣銀行券発行権限集約する動きが進むと、1886年5月には国立銀行条例再度改正されすべての国立銀行対し設立免許20年期限に、それまで発行した銀行紙幣償却義務づけられた。これに加え1896年明治29年)には国立銀行営業満期特別処分法の制定によって国立銀行普通銀行への転換進行したため、当行でも発行紙幣の償却期限前に普通銀行への転換によって営業継続を図ることとなった

※この「第百四十六国立銀行時代」の解説は、「廣島銀行 (1897年-1920年)」の解説の一部です。
「第百四十六国立銀行時代」を含む「廣島銀行 (1897年-1920年)」の記事については、「廣島銀行 (1897年-1920年)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第百四十六国立銀行時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第百四十六国立銀行時代」の関連用語

第百四十六国立銀行時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第百四十六国立銀行時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの廣島銀行 (1897年-1920年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS