廣島銀行 (1897年-1920年)
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株式会社廣島銀行(広島銀行 / ひろしまぎんこう)は、1897年(明治30年)、広島市に設立された地方銀行で、現在の広島銀行の前身となった銀行の一つである。直接の継承関係を有さない現存の広島銀行、およびその旧称たる「廣島銀行」と区別するため「旧廣島銀行」と呼ばれることがある。
- ^ 資本金8万円での発足であるが、岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」に拠れば、1878年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、次の通り。最大値:1,500千円、最小値:40千円、Obs.:4
- ^ a b c d e f 広島市 『廣島銀行「創業百年史」編纂資料 仮目録』(外部リンク参照)「文書群概要」、ⅰ(2018年12月閲覧)。
- ^ 備陽史探訪の会「備後南部の金融機関の設立と変遷について(尾道編)」(2018年12月閲覧)。
- ^ Freeman雑記帳・広島「広島市初の「第百四十六銀行」、出資者は広島城外の人々」(2018年12月閲覧)。
- ^ 有元正雄ほか『広島県の百年』山川出版社、1983年、p.63。
- ^ 南地伸昭、「国立銀行設立にみるリレーションシップバンキングの原型 : 地域金融の円滑化と殖産興業」『生活経済学研究』 2005年 21巻 p.43-57, doi:10.18961/seikatsukeizaigaku.21.0_43。
- ^ a b c 『広島県の百年』 山川出版社、p.124。
- ^ 『広島県の百年』、p.176。
- ^ a b 『広島県の百年』、p.177。
- ^ 田辺良平『ふるさとの銀行物語[広島編]』 菁文社、2005年、pp.16-17。
- ^ 1901年の設立時の資本金は30万円払込金は5万円であるが、岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」に拠れば、1900年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、次の通り。最大値:66,000千円、最小値:80千円、Obs.:96
- ^ 銀行図書館 銀行変遷史データベース「(株)豊田銀行」(2018年12月閲覧)。
- ^ a b にほしまp.6 ハワイ移民資料館仁保島村 2023年7月28日閲覧。
- ^ 銀行図書館 銀行変遷史データベース「(名)村上銀行」(2018年12月閲覧)。
- ^ 1907年の設立時の資本金・払込金はともに3万円であるが、岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」に拠れば、1900年と1915年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、それぞれ最大値は66,000千円と200,000千円、最小値は80千円と50千円、平均値は4,216千円と8,141千円であった。
- ^ 銀行図書館 銀行変遷史データベース「(株)芸陽銀行」(2018年12月閲覧)。
- ^ 銀行図書館 銀行変遷史データベース「(株)賀茂銀行」(2018年12月閲覧)。
- ^ 「平和記念公園被爆遺構発掘・保存・展示候補地(案) (PDF) 」(2018年12月閲覧)、被爆建造物調査委員会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和祈念資料館、1996年、p.62。
- ^ 『中国新聞』2018年7月26日付「爆心地下に眠る町〈1〉父の職場 事実残す遺構 公開切望」(2018年12月閲覧)。
- 1 廣島銀行 (1897年-1920年)とは
- 2 廣島銀行 (1897年-1920年)の概要
- 3 本店
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