第六十六銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 15:50 UTC 版)
株式会社第六十六銀行(だいろくじゅうろくぎんこう)は、1897年(明治30年)、広島県尾道に設立された銀行で、現在の広島銀行の前身となった銀行の一つである。
注釈
- ^ 1892年に住友尾道支店、1895年には住友銀行の創業にともない同行尾道支店となった。この支店は県下初の支店であるのみならず、住友銀行の支店第一号でもあった。
- ^ それまでに設立された4つの国立銀行は金貨との交換義務を持つ兌換紙幣の発行権を有していたが、この改正によって不換紙幣の発行や金禄公債を原資とすることも認められるようになった。
- ^ 1887年には広島に先んじて商業学校(尾道商法講習所)、1892年には商業会議所(現・尾道商工会議所)がそれぞれ設立されている。
- ^ 尾道町は1898年4月に県下で二番目に市制を施行し尾道市となった。
- ^ このうち広島出張所は市内塚本町(現在の中区堺町)に置かれ、のち広島支店に昇格した[4]
出典
- ^ 資本金10万円での発足であるが、岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」に拠れば、1878年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、最大値は1,500千円、最小値は40千円、平均値は448千円であった。
- ^ a b c d 広島市 『廣島銀行「創業百年史」編纂資料 仮目録』(外部リンク参照)「文書群概要」、ⅰ(2018年12月閲覧)。
- ^ a b 有元正雄ほか『広島県の百年』山川出版社、1983年、p.63。
- ^ 被爆建造物調査委員会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和祈念資料館、1996年、p.171。
- ^ 有元正雄「広島県[銀行]」『明治時代史辞典』第3巻、吉川弘文館、2013年、p.259。
- ^ 『広島県の百年』、山川出版社、p.124。
- ^ 資本金100万円となったが、岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」に拠れば、1900年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、最大値は66,000千円、最小値は80千円、平均値は4,216千円であった。
- ^ 『広島県の百年』、山川出版社、p.177。
- ^ 「銀行図書館 銀行変遷史データベース「((株))第六十六銀行」」(外部リンク参照)(2018年12月閲覧)。
- ^ 田辺良平『ふるさとの銀行物語[備後編]』 菁文社、2004年、p.141。
- ^ 田辺良平『ふるさとの銀行物語[広島編]』 菁文社、2005年、pp.16-17。
- ^ 備陽史探訪の会「備後南部の金融機関の設立と変遷について(尾道編)」(2019年1月閲覧)。
- 1 第六十六銀行とは
- 2 第六十六銀行の概要
- 3 脚注
第六十六銀行
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「藝備銀行 (1920-45年)」の記事における「第六十六銀行」の解説
詳細は「第六十六銀行」を参照 (株)第六十六銀行(だいろくじゅうろくぎんこう)は、第六十六国立銀行(1878年11月29日設立)が、明治30年(1897年)7月1日、普通銀行に改組され再発足したものである。尾道に本店をおき備南・芸備地域を営業圏としていたが、1920年(大正9年)6月30日の藝備銀行の新立合併に参加し、同年10月1日に解散した。
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