戦後恐慌から藝備銀行の設立へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 03:26 UTC 版)
「広島商業銀行」の記事における「戦後恐慌から藝備銀行の設立へ」の解説
だが第一次世界大戦終結後に戦後恐慌が本格化すると、1920年4月以降、当行も取り付けに陥ることとなった。これより先、1919年7月に若林賚蔵広島県知事の周旋により同じく広島市に本店をおく(旧)廣島銀行と当行の合併が画策されていたが、これに尾道市に本店をおく第六十六銀行が加わって翌1920年春には3行の合併契約が結ばれた。これに加え、別個に合併論議が持ち上がっていた三次貯蓄銀行・比婆銀行・角倉銀行・双三貯蓄銀行の備北4行がこの合併に新たに参加することとなり、同年6月30日、新立合併により「藝備銀行」が発足した。これにより当行は10月1日に解散し、塚本町の本店は藝備銀行塚本町支店となった。
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