第六十六銀行時代とは? わかりやすく解説

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第六十六銀行時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 05:16 UTC 版)

第六十六銀行」の記事における「第六十六銀行時代」の解説

上の経緯から第六十六国銀行1897年7月1日引き続き尾道本店をおく普通銀行の「第六十六銀行」として再発足した。設立時資本金1,000,000円に増額され1901年時点払込金は508,000円にのぼった第一次世界大戦中好況に際しては、県下比較規模大きかった当行積極的な業務拡張政策をとったが、大戦後不況見舞われる県下他行との合併模索されるようになった1919年大正8年)夏以降広島市本拠地とする(旧)廣島銀行広島商業銀行合併工作表面化すると、当行もこれへの参加決定し、翌1920年春には3行合併の契約結ばれたその後、これとは別個に合併論議持ち上がっていた三次貯蓄銀行比婆銀行角倉銀行双三貯蓄銀行備北4行が新たに合併契約参加することとなり、同年6月30日当行を含む7行の新立合併によって広島本店をおく「(旧)藝備銀行」が発足した。これにより当行10月1日解散し当行本店藝備銀行尾道支店として継承された。 尾道第六十六国銀行遅れて1878年設立され広島の第百四十六国銀行(旧廣島銀行前身)は、設立当初資本金第六十六国銀行半分にも満たない80,000円であり経営も不安定であったが、日清戦争以降軍都として急成長遂げ都市インフラ整備進んだことを背景に、預金額などで第六十六銀行尾道本店次第圧倒するようになっていた。新銀行の本店尾道ではなく広島におかれたことは、県下金融界における尾道広島地位逆転したことを象徴する出来事となった。これ以後尾道商工業界は尾道唯一の本店銀行1926年以降となった尾道銀行およびその後身である備南銀行をいっそうバックアップするようになった

※この「第六十六銀行時代」の解説は、「第六十六銀行」の解説の一部です。
「第六十六銀行時代」を含む「第六十六銀行」の記事については、「第六十六銀行」の概要を参照ください。

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