中国商業銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 05:18 UTC 版)
「藝備銀行 (1920-45年)」の記事における「中国商業銀行」の解説
(株)中国商業銀行(ちゅうごくしょうぎょうぎんこう)の源流は1897年(明治30年)4月27日、大分県で設立された(株)大分殖産銀行であり、この銀行は1911年(明治44年)9月18日、(株)日本殖産銀行と改称した。 その翌年の1912年(明治45年)4月6日、日本殖産銀行は広島市中島本町(現・中区中島町)に本店を移転し(株)後藤田銀行と改称した。後藤田銀行は1920年(大正9年)4月29日、戦後恐慌の中で広島県下では初めて取り付けに見舞われて臨時休業することになり、その後、県下の中小銀行が合同整理へと動くきっかけを作ったことで知られる。後藤田銀行はその翌年の1921年6月24日に(株)中国商業銀行と改称したが、1925年5月28日に藝備銀行との合併認可を受け、同年6月8日に合併・解散した。
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