県内外の諸行の統合による経営拡大
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「藝備銀行 (1920-45年)」の記事における「県内外の諸行の統合による経営拡大」の解説
藝備銀行は以上のような経緯から1920年(大正9年)6月30日に資本金は15,000,000円をもって設立され、同年10月1日に開業した。本店となったのは広島市元柳町の旧廣島銀行本店(1908年築造)であり、県下全域に店舗がおかれた。しかし元柳町の本店は7行を統合し急拡大した支店網の事務を管轄する店舗としては手狭であり、職員・事務量ともに増加していったため、1923年には市内紙屋町に新たな本店の敷地が購入され、1925年には店舗の建設が始まった。その一方で井上洋一郎『広島財界今昔物語』によれば、設立当初には前身7行それぞれの慣習の違いや人脈に由来する派閥抗争が絶えなかったという。 当行は開業後も政府による銀行合同政策を背景に県内外の銀行の吸収・合併をすすめ、1925年~1926年に中国商業銀行・尾道諸品株式会社銀行部・加計銀行・仁方銀行・多川銀行の5行を合併・買収した。1927年(昭和2年)には金融恐慌を背景に銀行合同の動きが促進され、当行は広第一銀行・呉第一銀行の営業権を取得(買収)した。この年、本店は6月に竣工した紙屋町の新店舗に移転した。さらに翌1928年、当行は県外の愛媛銀行・西条銀行・伊予三島銀行の3行も合併して愛媛県に営業拠点を拡大する一方、可部銀行の営業権も獲得した。翌1929年に始まる世界恐慌の波は県下における銀行の整理統合をいっそう加速させ、1934年には備後地方で独立路線をとっていた備後銀行の営業権も当行に譲渡された。
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