明治22年徴兵令とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 明治22年徴兵令の意味・解説 

明治22年徴兵令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 03:36 UTC 版)

徴兵令」の記事における「明治22年徴兵令」の解説

徴兵令では、満20歳男子から抽選3年兵役常備軍)とすることを定め常備軍終了後後備軍(予備役)とした。 国民皆兵理念とはしたが、体格基準達しない者や病気の者などは除かれ、また制度当初、「一家主人たる者」や「家のあとを継ぐ者」、「嗣子並に承祖の孫」(承継者)、「代人料を支払った者」(当初270円、1879年400円へ引き上げた)、「官省府県役人兵学寮生徒、官立学校生徒」、「養家に住む養子」は徴兵免除とされた。このため徴兵逃れ養子になる等の徴兵忌避者が続出し徴兵免除解説書まで出版されたりもした。この結果二十歳上の男子の3%~4%くらいし徴兵できなかった(もともと政府財政難により、成人男子全員徴兵することは到底無理ではあった)。 さらに各地徴兵令反対一揆起こった徴兵告諭に「血税」という言葉があったためとされ、「血税一揆」と呼ばれた。この一揆は、特に岡山県激しかった。「血税」とは、フランス語の「impot du sang」の直訳であり、「impot」が「税」、「sang」が「血」の意である。この名のせいで、本当に血を抜かれる誤解した者も多かった。 「徴兵告諭」の一節:「人たるもの固(もと)より心力尽し国に報ひざるべからず西人西洋人)之を称して血税と云ふ。其生血を以て国に報するの謂なり」 また当時徴兵懲役一字違い、腰にサーベル鉄鎖」という句が流行った強制に基づく徴兵監獄に行くのと同じであり嫌だ、という反抗表れとされる当初は民の抵抗多かった徴兵制度も、軍人勅諭教育勅語による国防思想普及日清戦争・日露戦争勝利さらには軍隊支給される食事当時貧困層の生活レベルから見れば良質で、有料だが酒保置かれたという俗な理由もあり、組織的な抵抗なくなった。しかし徴兵忌避感情は自然の感情であるので、さまざまな徴兵忌避対策庶民レベル繰り広げられた。創設当初にあった徴兵免除規定徐々に縮小・廃止され、1889年明治22年)に大改正が行われ、ほぼ国民皆兵となった(ただし、中等学校上の卒業後に志願したものは現役期間1年としたり、師範学校出て教員になったものは現役6週間とするなどの特例があった)。逆に徴兵免除される者が少数派になると、かえってそれが不名誉みなされるようになった。 なお徴兵令の適用年代には地域差がある。本土では1873年明治6年)だが、小笠原諸島北海道では1887年明治20年)、沖縄本島では1898年明治31年)、先島諸島では1902年明治35年)になるまで徴兵はなかった(例え沖縄出身日清戦争従軍した者は全て志願である)。1896年1月1日北海道のうち渡島後志胆振石狩徴兵令施行された(勅令)。このため例え鈴木梅太郎夏目漱石のように、徴兵逃れのために本土から沖縄北海道へ転籍する者もいた。 1927年昭和2年)、徴兵令全部改正し、兵役法昭和2年4月1日法律47号)が制定された。

※この「明治22年徴兵令」の解説は、「徴兵令」の解説の一部です。
「明治22年徴兵令」を含む「徴兵令」の記事については、「徴兵令」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「明治22年徴兵令」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明治22年徴兵令」の関連用語

1
30% |||||

2
30% |||||

3
6% |||||

明治22年徴兵令のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明治22年徴兵令のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの徴兵令 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS