明治21年(1888年)編入地区の町名
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「京都市左京区の町名」の記事における「明治21年(1888年)編入地区の町名」の解説
公称町名町数岡崎入江町、岡崎真如堂前町、岡崎東福ノ川町、黒谷町、岡崎東天王町、岡崎天王町、岡崎法勝寺町、岡崎成勝寺町、岡崎最勝寺町、岡崎西天王町、岡崎徳成町、岡崎円勝寺町、岡崎南御所町、岡崎北御所町、岡崎西福ノ川町 14 聖護院東町、聖護院中町、聖護院西町、聖護院川原町、聖護院円頓美町、聖護院山王町、聖護院蓮華蔵町、聖護院東寺領町 8 吉田牛ノ宮町、吉田泉殿町、吉田上阿達町、吉田中阿達町、吉田下阿達町、吉田河原町、吉田橘町、吉田本町、吉田近衛町、吉田二本松町、吉田上大路町、吉田中大路町、吉田下大路町、吉田神楽岡町 14 南禅寺北ノ坊町、永観堂町、永観堂西町、南禅寺下河原町、南禅寺草川町、南禅寺福地町、南禅寺南禅寺山町、南禅寺風呂山町 6 黒谷町、永観堂町、永観堂西町 3 町名に「岡崎」を冠する地区は、もとの愛宕郡(おたぎぐん)岡崎村である。岡崎村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区岡崎町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区岡崎町となった。大正7年(1918年)には岡崎町を廃止し、「岡崎」を冠する13町及び黒谷町(冠称なし)に編成された。これら14町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和33年に岡崎東天王町が成立し、「岡崎」を冠する町名は計14、その他の町名1(黒谷町)となっている。 町名に「聖護院」を冠する地区は、もとの愛宕郡聖護院村である。聖護院村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区聖護院町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区聖護院町となった。大正7年(1918年)には聖護院町を廃止し、「聖護院」を冠称する8町に編成された。これら8町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。 町名に「吉田」を冠する地区は、もとの愛宕郡吉田村である。吉田村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区吉田町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区吉田町となった。大正7年(1918年)には吉田町を廃止し、「吉田」を冠称する14町に編成された。これら14町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。 町名に「南禅寺」を冠する地区は、もとの愛宕郡南禅寺村である。南禅寺村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区南禅寺町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区南禅寺町となった。大正7年(1918年)には南禅寺町を廃止して、「南禅寺」を冠称する4町、永観堂町(冠なし)が成立。残余は「町」をつけない「南禅寺」となる。これら6町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。昭和33年、永観堂西町(冠なし)が成立。 昭和40年(1965年)に当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。これに伴い、元の「南禅寺」であった区域は南禅寺南禅寺山町、南禅寺風呂山町となった。以上により、現在は「南禅寺」を冠する町名が6、その他の町名が2(永観堂町、永観堂西町)となっている。 公称町名町数粟田口鳥居町、粟田口大日山町、粟田口山下町、粟田口入会山町、粟田口如意ケ嶽町 5 鹿ケ谷寺ノ前町、鹿ケ谷西寺ノ前町、鹿ケ谷高岸町、鹿ケ谷宮ノ前町、鹿ケ谷上宮ノ前町、鹿ケ谷下宮ノ前町、鹿ケ谷桜谷町、鹿ケ谷法然院町、鹿ケ谷法然院西町、鹿ケ谷御所ノ段町、鹿ケ谷大黒谷町、鹿ケ谷菖蒲谷町、鹿ケ谷栗木谷町、鹿ケ谷不動山町、鹿ケ谷若王子山町、鹿ケ谷善気山町、鹿ケ谷徳善谷町、鹿ケ谷多頂山町 18 浄土寺上南田町、浄土寺南田町、浄土寺下南田町、浄土寺真如町、浄土寺上馬場町、浄土寺馬場町、浄土寺下馬場町、浄土寺東田町、浄土寺西田町、浄土寺石橋町、浄土寺打越町、浄土寺広帖町、浄土寺提灯山町、浄土寺七廻り町、浄土寺小山町、浄土寺大山町 16 若王子町、銀閣寺町、銀閣寺前町 3 町名に「粟田口」(あわたぐち)を冠する地区は、もとの愛宕郡粟田口村である。粟田口村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区粟田口町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区粟田口町となった。大正7年(1918年)には粟田口町を廃止し、「粟田口」を冠称する4町(鳥居町、華頂町、鍛冶町、三条坊町)及び「町」字を付さない「粟田口」に編成された。これら5町は昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。翌昭和5年、粟田口地区の南部は東山区となり、「町」をつけない「粟田口」の一部と、粟田口鳥居町のみが左京区の所属となった。 昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区粟田口」の区域は粟田口大日山町、粟田口山下町、粟田口入会山町、粟田口如意ケ嶽町の4町となった。以上により、現在は「粟田口」を冠する町名は5となっている。 町名に「鹿ケ谷」(ししがたに)を冠する地区は、もとの愛宕郡鹿谷村である。鹿谷村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区鹿ケ谷町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区鹿ケ谷町となった。大正7年(1918年)には鹿ケ谷町を廃止し、「鹿ケ谷」を冠称する6町、若王子町(冠称なし)が成立。残余は「町」をつけない「鹿ケ谷」となる。これら8町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和4年に法然寺西町、昭和33年に西寺ノ前町、上・下宮ノ前町が成立した。 昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区鹿ケ谷」の区域は「鹿ケ谷」を冠称する8町(大黒谷町、菖蒲谷町、栗木谷町、不動山町、若王子山町、善気山町、徳善谷町、多頂山町)となった。以上により、現在は「鹿ケ谷」を冠称する町名は18となっている。 町名に「浄土寺」を冠する町名の地区は、もとの愛宕郡浄土寺村である。浄土寺村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区浄土寺町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区浄土寺町となった。大正7年(1918年)には浄土寺町を廃し、「浄土寺」を冠する5町、銀閣寺町(冠称なし)が成立。残余は「町」がつかない「浄土寺」となる。これら7町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和34年に銀閣寺前町(冠なし)及び「浄土寺」を冠称する東田町、上・下馬場町、上・下南田町が成立した。 昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区浄土寺」の区域は「浄土寺」を冠する6町(打越町、広帖町、提灯山町、七廻り町、小山町、大山町)となった。以上により、現在は「浄土寺」を冠する町名は16、その他の町名は2(銀閣寺町、銀閣寺前町)となっている。
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