明治21年編入地区の町名とは? わかりやすく解説

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明治21年(1888年)編入地区の町名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 10:32 UTC 版)

京都市左京区の町名」の記事における「明治21年1888年編入地区町名」の解説

公称町名町数岡崎入江町岡崎真如堂前町岡崎東福ノ川町黒谷町岡崎東天王町岡崎天王町岡崎法勝寺町岡崎成勝寺町岡崎最勝寺町岡崎西天王町岡崎徳成町岡崎円勝寺町岡崎南御所町岡崎北御所町岡崎西福ノ川町 14 聖護院東町聖護院中町聖護院西町聖護院川原町聖護院円頓美町聖護院山王町聖護院蓮華蔵町聖護院東寺領町 8 吉田牛ノ宮町吉田泉殿町吉田上阿達町吉田中阿達町吉田下阿達町吉田河原町吉田橘町吉田本町吉田近衛町吉田二本松町吉田上大路町吉田中大路町吉田下大路町吉田神楽岡町 14 南禅寺北ノ坊町永観堂町永観堂西町南禅寺下河原町南禅寺草川町南禅寺福地町南禅寺南禅寺山町南禅寺風呂山町 6 黒谷町永観堂町永観堂西町 3 町名に「岡崎」を冠する地区は、もとの愛宕郡(おたぎぐん)岡崎村である。岡崎村は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区岡崎町となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区岡崎町となった大正7年1918年)には岡崎町廃止し、「岡崎」を冠する13町及び黒谷町冠称なし)に編成された。これら14町は、昭和4年左京区成立後は、同区の町となったその後昭和33年岡崎東天王町成立し、「岡崎」を冠する町名は計14その他の町名1(黒谷町となっている。 町名に「聖護院」を冠する地区は、もとの愛宕郡聖護院である。聖護院は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区聖護院となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区聖護院となった大正7年1918年)には聖護院町を廃止し、「聖護院」を冠称する8町に編成された。これら8町は、昭和4年左京区成立後は、同区の町となった町名に「吉田」を冠する地区は、もとの愛宕郡吉田村である。吉田村は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区吉田町となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区吉田町となった大正7年1918年)には吉田町廃止し、「吉田」を冠称する14町に編成された。これら14町は、昭和4年左京区成立後は、同区の町となった町名に「南禅寺」を冠する地区は、もとの愛宕郡南禅寺である。南禅寺は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区南禅寺となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区南禅寺となった大正7年1918年)には南禅寺町を廃止して、「南禅寺」を冠称する4町、永観堂町(冠なし)が成立残余は「町」をつけない南禅寺」となる。これら6町は、昭和4年左京区成立後は、同区の町となった昭和33年永観堂西町(冠なし)が成立昭和40年1965年)に当時京都市内各所残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。これに伴い、元の「南禅寺であった区域南禅寺南禅寺山町南禅寺風呂山町となった以上により、現在は「南禅寺」を冠する町名が6、その他の町名が2(永観堂町永観堂西町となっている。 公称町名町数粟田口鳥居町粟田口大日山町、粟田口山下町粟田口入会山町、粟田口如意ケ嶽町 5 鹿ケ谷寺ノ前町鹿ケ谷西寺ノ前町鹿ケ谷高岸町鹿ケ谷宮ノ前町鹿ケ谷上宮ノ前町鹿ケ谷下宮ノ前町鹿ケ谷桜谷町鹿ケ谷法然院町鹿ケ谷法然院西町鹿ケ谷御所ノ段町鹿ケ谷大黒谷町鹿ケ谷菖蒲谷町鹿ケ谷栗木谷町鹿ケ谷不動山町、鹿ケ谷若王子山町鹿ケ谷気山町、鹿ケ谷徳善谷町鹿ケ谷多頂山町 18 浄土寺上南田町浄土寺南田町浄土寺下南田町浄土寺真如町浄土寺上馬場町浄土寺馬場町浄土寺下馬場町浄土寺東田町浄土寺西田町浄土寺石橋町浄土寺打越町浄土寺広帖町、浄土寺提灯山町浄土寺廻り町、浄土寺小山町浄土寺大山町 16 若王子町銀閣寺町銀閣寺前町 3 町名に「粟田口」(あわたぐち)を冠する地区は、もとの愛宕郡粟田口である。粟田口は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区粟田口となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区粟田口となった大正7年1918年)には粟田口町を廃止し、「粟田口」を冠称する4町(鳥居町華頂町、鍛冶町三条坊町)及び「町」字を付さない「粟田口」に編成された。これら5町は昭和4年左京区成立後は、同区の町となった。翌昭和5年粟田口地区南部東山区となり、「町」をつけない粟田口」の一部と、粟田口鳥居町のみが左京区所属となった昭和40年1965年)、当時京都市内各所残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区粟田口」の区域粟田口大日山町、粟田口山下町粟田口入会山町、粟田口如意ケ嶽町の4町となった以上により、現在は「粟田口」を冠する町名は5となっている。 町名に「鹿ケ谷」(ししがたに)を冠する地区は、もとの愛宕郡鹿谷村である。鹿谷村は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区鹿ケ谷となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区鹿ケ谷となった大正7年1918年)には鹿ケ谷町を廃止し、「鹿ケ谷」を冠称する6町、若王子町冠称なし)が成立残余は「町」をつけない鹿ケ谷」となる。これら8町は、昭和4年左京区成立後は、同区の町となったその後昭和4年法然寺西町昭和33年西寺前町上・下宮前町成立した昭和40年1965年)、当時京都市内各所残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区鹿ケ谷」の区域は「鹿ケ谷」を冠称する8町(大黒谷町、菖蒲谷町栗木谷町不動山町、若王子山町、善気山町、徳善谷町、多頂山町となった以上により、現在は「鹿ケ谷」を冠称する町名18となっている。 町名に「浄土寺」を冠する町名地区は、もとの愛宕郡浄土寺である。浄土寺は、市制町村制施行以前明治21年1888年)、当時の上京区に編入され上京区浄土寺町となった明治22年には京都市に伴い京都市上京区浄土寺町となった大正7年1918年)には浄土寺町廃し、「浄土寺」を冠する5町、銀閣寺町冠称なし)が成立残余は「町」がつかない浄土寺」となる。これら7町は、昭和4年左京区成立後は、同区の町となったその後昭和34年銀閣寺前町(冠なし)及び「浄土寺」を冠称する東田町上・下馬場町上・下南田町成立した昭和40年1965年)、当時京都市内各所残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。元の「左京区浄土寺」の区域は「浄土寺」を冠する6町(打越町、広帖町、提灯山町、七廻り町、小山町大山町となった以上により、現在は「浄土寺」を冠する町名16その他の町名は2(銀閣寺町銀閣寺前町となっている。

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