日露戦争後の拡張とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日露戦争後の拡張の意味・解説 

日露戦争後の拡張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:26 UTC 版)

日本海電気」の記事における「日露戦争後の拡張」の解説

日露戦争後1907年明治40年1月16日富山電灯から富山電気株式会社へと社名改めた。この時期には120キロワット発電力では不足するようになっていたことから、拡張資金調達のため翌1907年明治42年1月従来の9万円から60万円増資し1911年明治44年上期にはさらに倍額増資実施した。 まず短期間整備可能な火力発電所建設進められ富山市の北隣の上新川郡奥田村神通川沿いの地にて出力110キロワット奥田発電所完成1908年明治41年9月1日より発電開始した。この発電所石炭燃料とし、原動機蒸気機関用いた火力工事並行して1908年3月より2番目となる水力発電所建設着手する。場所は大久保発電所よりもさらに南の婦負郡細入村大字庵谷(現・富山市庵谷)で、神通川上流宮川から取水6.4キロメートル余り水路落差得て出力1,425キロワット発電するというもの。しかし水路トンネル開削難航して工事が遅れ、この庵谷発電所1911年明治44年1月23日運転開始となった庵谷発電所完成に伴い市外東岩瀬町新庄町婦負郡八尾町への供給始まり同年3月には高月送電線完成により中新川郡西水橋町東水橋町上市町滑川町下新川郡魚津町(現・魚津市)への供給開始された。この年電灯需要家数は前年比4倍増1万3千戸取付灯数は3.5倍増の25千灯へと拡大する。さらに5月からは高岡市電力会社高岡電灯への電力供給開始している。同社受電開始機に小火発電所廃止し一時的に配電専業事業者となった1913年大正2年9月開業した富山県最初電気鉄道である富山電気軌道富山地方鉄道富山軌道線前身)にも、開業当初から給電している。 電気事業広がりつつあった1907年富山電気都市ガス供給事業企画し農商務省許可得た。ところが富山市当局ガス事業不安視したため市の道路占用許可得られず、長い間事業着手できなかった。ガス事業他の地方都市にも広がりつつあった1912年明治45年3月になり、市はようやく道路占用許可する許可後は郊外堀川村開催される一府八県連共進会間に合わせるため急ピッチで工事進められ開催当日1913年大正2年9月1日開業至ったガス工場用地には1913年廃止 され奥田発電所跡地(現・日本海ガス本社所在地)が充てられ、ここに石炭ガス発生炉2基とガスホルダー1基が設置された。開業直前報道によるとガス管総延長は14.5キロメートル市内630戸にガス引かれガス灯利用が1308口、熱(ガス七輪またはガス炊飯器)の利用552口あった。開業あわせて点灯され桜橋ガス灯には見物客が列をなしたという。その後ガス事業富山電気兼営事業として続けられるが、電気事業中心のためガス事業への積極投資はなく、徐々に需要増える程度推移していった。

※この「日露戦争後の拡張」の解説は、「日本海電気」の解説の一部です。
「日露戦争後の拡張」を含む「日本海電気」の記事については、「日本海電気」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日露戦争後の拡張」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日露戦争後の拡張」の関連用語

日露戦争後の拡張のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日露戦争後の拡張のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本海電気 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS