日本隊のマナスル初登頂の影響とは? わかりやすく解説

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日本隊のマナスル初登頂の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:47 UTC 版)

登山」の記事における「日本隊のマナスル初登頂の影響」の解説

1950年代ヒマラヤで、1950年昭和25年)のアンナプルナ1953年昭和28年)のエベレスト1956年昭和31年)のマナスル初登頂など、8000メートル峰14座ある)の初登頂ラッシュ続き、これを受け再び登山ブーム起きた。このブーム特徴は、大学高校山岳部に代わって、社会人山岳会活動活発になったことである。この時期1955年昭和30年有名なナイロンザイル事件起きたまた、谷川岳では、多発する遭難事故受けて群馬県1966年昭和41年)に群馬県谷川岳遭難防止条例制定した1971年昭和46年)、海外で「先鋭的登攀」を行ってきた人達が(社)日本アルパイン・ガイド協会設立し登山ガイド山岳ガイド養成資格認定などを行い始めた1960年代 - 1970年代山岳部山岳会が「先鋭的登攀」を続け一方で一般の人々ハイキングから縦走登山岩登りまで、好み能力あわせて広く楽しむようになった。 1966年3月26日富山県が、全国初の登山届出条例制定12月1日実施12月17日群馬県は、谷川岳遭難防止条例制定1967年3月1日実施1980年代山岳部山岳会衰退し始めまた、登山者占め中高年者の割合増え始めた若い世代山登り3Kというイメージ捉えて敬遠するようになり、育児一段落した人たちが山登り趣味とし始め仕事リタイアした世代若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに健康志向日本百名山ブームが輪をかけ、2010年現在至っている。このブームで、ツアー登山盛んになった。このブームの時代1990年平成2年)、各地設立され山岳ガイド団体日本山岳ガイド連盟設立しガイド資格発給を行うようになった2003年平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会日本山岳ガイド連盟合併して(社)日本山岳ガイド協会発足日本全国統一基準ガイド資格生まれた。また2010年今日、また若者登山戻りつつある。 2010年前後には旧来の山岳雑誌とは異なったライト感覚の登山アウトドア雑誌多く創刊され、それとともに山ガールという言葉マスコミ踊ったことにより、従来汗臭い泥臭い男性中心危険な登山というイメージからの脱皮計られるようになったまた、登山ウェア用具なども技術革新新素材登場によって、よりファッショナブル軽量な物が開発されるようになった2020年頃からは登山YouTuber呼ばれる人たちがインターネット上で山行動画公開し始めたことも、初心者若者中心に登山需要少なくなく喚起しつつあると思われる一方で、それらの多く山岳部山岳会などに所属しないフリーな登山活動であったため、経験蓄積のないままランク高い山不用意に入ってしまうという安全上の懸念生んでいる。これを第4次登山ブームと呼ぶべきかについてはまだ諸説ある。

※この「日本隊のマナスル初登頂の影響」の解説は、「登山」の解説の一部です。
「日本隊のマナスル初登頂の影響」を含む「登山」の記事については、「登山」の概要を参照ください。

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