日本陸軍内の抗命事件とは? わかりやすく解説

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日本陸軍内の抗命事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:14 UTC 版)

インパール作戦」の記事における「日本陸軍内の抗命事件」の解説

現状正確に認識して部隊自壊危惧した第31師団長・佐藤幸徳陸軍中将は、「作戦継続困難」と判断して、たびたび撤退進言する。しかし、牟田口はこれを拒絶し作戦継続厳命した。そのため双方対立次第激化し5月末、ついに佐藤部下集めて次のように告げた。 余は第三十一師団将兵を救わんとする。 余は第十五軍を救わんとする。 軍は兵隊骨までしゃぶる鬼畜化しつつあり、即刻余の身をもって矯正せんとす。 さらに司令部に対しては「善戦敢闘六十日におよび人間許されたる最大忍耐経てしかも刀折れ尽きたりいずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文のふり仮名カタカナ)と返電し、6月1日兵力補給集積地とされたウクルルまで退却、そこにも弾薬食糧が全く無かったため、独断で更にフミネまで後退した。これは陸軍刑法42条に反し師団長と言う陸軍要職にある者が、司令部の命に抗命した日本陸軍初の抗命事件である。これが牟田口の逆鱗触れて師団長更迭されたが、もとより佐藤死刑覚悟しており、軍法会議第15軍司令部作戦指導糾弾するつもりであったと言うまた、第33師団柳田元三陸軍中将が、同様の進言をするものの牟田口は拒絶。これもまた牟田口の逆鱗触れ第15師団長山正文陸軍中将と共に相次いで更迭され事態となった天皇によって任命される親補職である師団長中将)が、現場の一司令官中将)によって罷免されることは、本来ならば有り得ない事であり、天皇任免侵すものであったが、後日この人事が問題となることはなかった。三師団長更迭結果第15軍最早組織としての体を成さない状況陥った

※この「日本陸軍内の抗命事件」の解説は、「インパール作戦」の解説の一部です。
「日本陸軍内の抗命事件」を含む「インパール作戦」の記事については、「インパール作戦」の概要を参照ください。

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