日本国内での動向
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「スペースバルーン」の記事における「日本国内での動向」の解説
日本国土は山岳面積及び、森林面積比率が極めて高い。さらに、スペースバルーンはジェット気流の影響を大きく受けるため東に流れる性質があるが、日本国土が東西に短いために、海没する可能性が極めて高かった。スペースバルーンは機材回収を前提とするため、日本国内では海外以上の精度が必要になり、なかなか広まることはなかった。 日本国内で最初の例はTBS番組『飛び出せ!科学くん』2009年6月9日放送ので放送された、明星電気によって実施されたものが最古である。明星電気はラジオゾンデの製造メーカーでもある。気象観測用気球にハイビジョンカメラを搭載した装置を打上げ、上空30 kmからの映像撮影を成功させた。これが民間における日本初の成功例である。 次いで、NHKの『宇宙の渚』でJAXA大気球に搭載した全天球カメラで宇宙映像の撮影が行われた。 個人による初の成功例は、2012年9月29日に岩谷圭介の高度33 kmからの撮影である。岩谷による開発は継続されており、現在[いつ?]では65機の打上げを実施し国内最大の実績数を誇り、手法を広く公開している。これまでの成功例は研究機関や専門企業によるものであったが、この成功例を皮切りに小規模での実施が可能になった。 団体では、2013年6月に山梨県のkikyu.orgのスペースバルーンが高度30 kmまで上昇し、回収に成功している。映像撮影をしたか否かは不明である。 高校生によるスペースバルーンの初成功は、2014年札幌日本大学高等学校の学生により行われた。同時期に、北野高等学校宇宙開発部の学生が成功させている。また、2012年11月に長野県飯田工業高等学校の生徒により福井県で放たれたスペースバルーンが埼玉県内山中に落下したまま行方不明となっていたが2020年11月に発見され、上空32kmでの映像データが確認された。
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日本国内での動向
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日本においてプルサーマル計画が注目を集めたのは、もんじゅの事故により高速増殖炉の開発の見通しが立たなくなったことがきっかけである。日本においても、プルサーマルの開始に向けて国による安全審査や地元の事前了解が進んでいたが、住民投票による反対(新潟県)などにより、計画は遅れていた。 ほかにも福島県知事(当時)の佐藤栄佐久が、福島第一原子力発電所で計画されていたプルサーマル導入について、(発電所のある自治体の意向はともかく)県全体の安全上の観点や県民多数派の不安を背景に強く反対してきた、といった事例もある。 一方で、2006年(平成18年)3月に、九州電力の玄海原子力発電所3号機で実施したいという申し入れに、佐賀県知事の古川康は事前了解を出した。また2008年(平成20年)1月には、福井県知事の西川一誠が高浜原子力発電所の3・4号機で、2010年(平成22年)までにプルサーマル発電を実施する計画に事前了解を、静岡県知事の石川嘉延が浜岡原子力発電所でのプルサーマル発電に事前了解を出すなど、実施に向かって進んでいるところもあった。 2010年8月、東京電力が福島第一原子力発電所3号機(大熊町)で計画していたプルサーマル導入について、佐藤雄平知事は受け入れを決定。。しかし、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所事故により同原発は国際原子力事象評価尺度7の大事故を起こしたことにより、計画の先行きが不透明なものとなった。 その後、日本でプルサーマルを実施したのは、伊方原発3号機、高浜原発3、4号機、玄海原発3号機の4基だった。
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