日本の炭鉱事故
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日本では明治年間になると殖産興業の名の下、鉱山開発が盛んに行われた。しかし、当時の鉱山は利益優先で、労働環境は二の次であったため安全対策は劣悪な場合が多く、特にガス爆発や粉塵爆発が発生しやすい炭鉱においては、しばしば大規模な事故が発生した。小規模な死傷事故は、記録に残っていない事故まで含めると膨大な数となると考えられる。第二次世界大戦後、安全対策が充実すると事故の発生件数は劇的に減少したが、高コスト、石油エネルギーへの転換、輸入炭の増大などから閉山が相次ぐことになった。また、事故も完全になくなったわけではなく、そのため事故に対する労働者や遺族への補償も経営者の大きな痛手となり、日本の炭鉱衰退に拍車を掛けた。 日本の主な炭鉱事故 1899年6月15日 - 豊国炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者210人。 1907年7月20日 - 豊国炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者365人。明治期最悪の事故。 1909年11月24日 - 大之浦桐野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者243人。 1912年 - 北炭夕張炭鉱(北海道)にて4月29日と12月23日に爆発事故。それぞれ死者・行方不明者269人、216人。1913年1月13日、会社は鉱夫53名の生死不明のまま坑口を密閉した。 1913年2月6日 - 二瀬炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者101人。 1914年11月28日 - 新夕張炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者423人。 1914年12月15日 - 方城炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者687人。日本の近代史上最悪の炭鉱事故とされる。 1916年 - 東見初炭鉱(山口県)にて海水流入事故(鉱区が海域にあったため)。死者・行方不明者235人。 1917年12月21日 - 大之浦桐野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者361人。 1918年2月5日 - 大之浦桐野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者71人。 1920年6月14日 - 北炭夕張炭鉱北上坑(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者209人。 1927年 - 内郷炭鉱(福島県)にて坑内火災。死者・行方不明者136人。 1938年10月6日 - 北炭夕張炭鉱天竜坑(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者161人。 1941年3月18日 - 三菱美唄炭鉱(北海道)にて爆発事故死者・行方不明者177人。死者・行方不明者177人。 1943年 - 長生炭鉱(山口県)にて海水流入事故。死者・行方不明者183人。 1944年 - 美唄炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者109人。 1958年9月25日 - 福岡県山田市にある池本鉱業大昇炭鉱にてガス爆発が発生。死者14人。 1960年 - 中元寺川の増水によって豊州炭鉱(福岡県)で落盤、死者・行方不明者67人。 1960年2月1日 - 北炭夕張炭鉱(北海道夕張市)でガス爆発が発生。死者42人。 1961年 - 上清炭鉱(福岡県)にて坑内火災、死者71人。大辻炭鉱(福岡県)にて坑内火災、救助に入った炭鉱長も巻き込まれ、死者26人。 1963年11月9日 - 三井三池炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者458人を出し、第二次世界大戦後の事故では最多の死者数を出す。 1965年 - 北海道炭砿汽船夕張鉱業所(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者61人。 1965年 - 三井山野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者237人。 1966年11月1日 - 住友奔別炭鉱(北海道)にて午前2時45分ころガスによる事故が発生。作業中の職員3名、鉱員13名が死亡。鉱員4名が重軽傷を負う。 1970年 - 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者5人・重軽傷者7人。 1972年 - 石狩炭鉱石狩鉱業所(北海道)にて11月2日午後5時48分頃にガス爆発事故。死者31人。 1977年 - 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者25人・重傷者8人。 1981年 - 北炭夕張新炭鉱(北海道)にてガス突出・爆発事故。坑内に59名の安否不明者が取り残されたまま注水作業を開始し、最終的な死者は93人。 1984年 - 三井三池炭鉱有明抗(福岡県)にて坑内火災。死者83人。 1985年 - 三菱南大夕張炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者62人。
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