日本の潜水母艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:16 UTC 版)
日本海軍の海軍艦艇類別標準において軍艦のうちに潜水母艦の類別が設けられたのは1924年(大正13年)12月1日であり、それまでは同種の任務の艦は水雷母艦とされていた。特務艇のうちの潜水艦母艇(1920年(大正9年)4月1日設置)も同様の任務に就いた。当時の水雷母艦(潜水艦母艦)は、運送船として計画され建造中に改装された「駒橋」や拿捕商船を改装した「韓崎」、潜水艦母艇は旧式海防戦艦を改造した「見島」や、元防護巡洋艦の「千代田」などであった。大正期の八八艦隊案において、ようやく本格的潜水母艦たる迅鯨型潜水母艦の「迅鯨」と「長鯨」の就役に至った。しかし迅鯨型は呂号潜水艦に対応した能力であったため、潜水艦の大型化・高速化が進むと能力不足が顕著になった。そこで他艦と戦隊を組まない軽巡洋艦(長良型軽巡洋艦)や、商船を改装した特設艦が潜水戦隊旗艦兼母艦任務に充当された。 昭和期にはいると、「大鯨」と剣埼型潜水母艦といった本格的な潜水母艦が建造され、迅鯨型は練習艦や工作艦になった。しかし、新型3隻(「大鯨」、「剣埼」、「高崎」)は有事の際に短期間で航空母艦へ改装される予定の特殊艦であった。実際に太平洋戦争を前に「大鯨」は「龍鳳」(昭和16年12月より空母改造工事開始)、「剣崎」は「祥鳳」(昭和15年11月より工事開始)、「高崎」は「瑞鳳」へと、それぞれ予定通りに航空母艦へ改装されたため、迅鯨型は1940年(昭和15年)11月より再び潜水母艦として運用された。また予定どおり商船改造の特設潜水母艦を投入した。このほかに、潜水戦隊旗艦用の軽巡洋艦として大淀型軽巡洋艦を建造することになったが、1番艦「大淀」のみ完成し、2番艦「仁淀」は建造中止となった。 海上自衛隊においては、潜水母艦機能に加えて潜水艦救難艦としての能力も持つ潜水艦救難母艦「ちよだ」を2018年まで運用していた。
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