日本の年表
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文久元年5月15日(新暦換算:1861年6月22日、幕末) - 長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープン。地元新聞(日本発の英字新聞)に広告が掲載される。 記念碑 「わが国ボウリング発祥の地」碑/長崎市大浦町2-25、大浦天主堂の下から四海楼へ行く途中に所在する。1990年(平成2年)建立。ピンとボールをデザインに組み込んだ背の高い石碑とステンドグラスをあしらった解説板で構成される。 「近代ボウリング発祥の地」碑/東京都港区北青山2丁目のTEPIA先端技術館にある。1994年(平成6年)建立。 1950年(昭和25年)7月14日 - 日本ボウリング協会が発足。明治神宮外苑ラグビー場横に競技場を設立。 1952年(昭和27年)12月20日 - 日本で初めての本格民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が、東京都港区青山に開業した。所在地は外苑前の現在はスポーツ施設「テピア」となっている場所であった。しかしながら東京ボウリングセンターは開業から1年で経営破綻したことから第一ホテル(当時)が経営権を取得、吉祥寺第一ホテル(東京都武蔵野市)に施設を移設して現存している。 1955年(昭和30年) - 日本ボウリング連盟(現・全日本ボウリング協会の前身)の設立。初代会長は、安西正夫。 1961年(昭和36年) - 日本がボウリングの世界組織である国際柱技者連盟(FIQ 現・世界ボウリング連盟)に加盟する。ここから日本のボウリング界は世界へと道を開いてゆく。また、この頃からボウリングの機械化が進み始める。それまでは、ピンボーイと呼ばれる人が倒れたピンをもとどおりにするという人力に頼ったものだった。 1964年(昭和39年)5月 - 全日本ボウリング協会 (JBC) の設立。 1965年(昭和40年)4月 - 日本ボウリング場協会 (BPAJ) の創立。 1965年(昭和40年) - 参議院地方委員会風俗小委員会にて、深夜営業を行うボウリング場への青少年の出入りが問題視される。このため業界側が午前零時を回る営業の自主規制を行う。 1970年末頃 - スコアをボウラーが計算しなくても済む計算機能を持った機械が実用化され始める。この頃から、日本ではボウリングのブームが始まる。当時ボウリング場は全国に3880センターを超えていたが、現在は約1000センターまでに減っている。 1972年(昭和47年) - 日本ボウリング場協会が「ボウリングの日」を制定。 1978年(昭和48年) - 全日本ボウリング協会が財団法人になる。 1983年(昭和58年) - 全日本ボウリング協会が日本体育協会に加盟。 1986年(昭和61年) - アジア競技大会で(ソウルで開催)日本は12種目中6個もの金メダルを獲得する。 1988年(昭和63年) - ソウルオリンピックでエキシビションゲームに採択される。 1990年(平成2年)6月22日 - 長崎県長崎市大浦町にて、「わが国ボウリング発祥の地」碑の建立/日本ボウリング場協会による。■右列に画像あり。 1994年(平成6年)9月29日 - 東京都港区北青山2丁目にて、「近代ボウリング発祥の地」碑の建立/東京ボウリング場協会が協会創立30周年を記念して建立。日本初のテンピンボウリング手動式設備を設けた「東京ボウリングセンター」を近代ボウリングの発祥地とする記念碑。■右列に画像あり。
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