日本の年表とは? わかりやすく解説

日本の年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:38 UTC 版)

ボウリング」の記事における「日本の年表」の解説

文久元年5月15日新暦換算:1861年6月22日幕末) - 長崎大浦居留地初めてのボウリング場オープン地元新聞(日本発の英字新聞)に広告掲載される記念碑わが国ボウリング発祥の地」碑/長崎市大浦町2-25大浦天主堂の下から四海楼へ行く途中所在する1990年平成2年建立ピンとボールデザイン組み込んだ背の高い石碑ステンドグラスあしらった解説板で構成される。 「近代ボウリング発祥の地」碑/東京都港区北青山2丁目のTEPIA先端技術館にある。1994年平成6年建立1950年昭和25年7月14日 - 日本ボウリング協会発足明治神宮外苑ラグビー場横に競技場設立1952年昭和27年12月20日 - 日本初めての本格民間ボウリング場東京ボウリングセンター」が、東京都港区青山開業した所在地外苑前の現在はスポーツ施設テピアとなっている場所であったしかしながら東京ボウリングセンターは開業から1年経営破綻したことから第一ホテル当時)が経営権取得吉祥寺第一ホテル東京都武蔵野市)に施設移設して現存している。 1955年昭和30年) - 日本ボウリング連盟(現・全日本ボウリング協会前身)の設立初代会長は、安西正夫1961年昭和36年) - 日本ボウリング世界組織である国際柱技者連盟FIQ 現・世界ボウリング連盟)に加盟するここから日本ボウリング界は世界へと道を開いてゆく。また、この頃からボウリング機械化進み始める。それまでは、ピンボーイと呼ばれる人が倒れたピンもとどおりにするという人力頼ったのだった1964年昭和39年5月 - 全日本ボウリング協会 (JBC) の設立1965年昭和40年4月 - 日本ボウリング場協会 (BPAJ) の創立1965年昭和40年) - 参議院地方委員会風俗小委員会にて、深夜営業を行うボウリング場への青少年出入り問題視されるこのため業界側が午前零時を回る営業自主規制を行う。 1970年末頃 - スコアボウラー計算しなくても済む計算機能を持った機械実用化され始める。この頃から、日本ではボウリングブームが始まる。当時ボウリング場全国に3880センター超えていたが、現在は約1000センターまでに減っている。 1972年昭和47年) - 日本ボウリング場協会が「ボウリングの日」を制定1978年昭和48年) - 全日本ボウリング協会財団法人になる。 1983年昭和58年) - 全日本ボウリング協会日本体育協会加盟1986年昭和61年) - アジア競技大会で(ソウル開催日本12種目中6個もの金メダル獲得する1988年昭和63年) - ソウルオリンピックエキシビションゲーム採択される。 1990年平成2年6月22日 - 長崎県長崎市大浦町にて、「わが国ボウリング発祥の地碑の建立日本ボウリング場協会よる。■右列に画像あり。 1994年平成6年9月29日 - 東京都港区北青山2丁目にて、「近代ボウリング発祥の地碑の建立東京ボウリング場協会協会創立30周年記念して建立日本初のテンピンボウリング手動式設備設けた東京ボウリングセンター」を近代ボウリング発祥地とする記念碑。■右列に画像あり。

※この「日本の年表」の解説は、「ボウリング」の解説の一部です。
「日本の年表」を含む「ボウリング」の記事については、「ボウリング」の概要を参照ください。

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