日本における美人像とは? わかりやすく解説

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日本における美人像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 15:03 UTC 版)

美人」の記事における「日本における美人像」の解説

日本平安時代には、肌理(きめ)の細かい色白の肌、ふっくらした頬、長くしなやかな黒髪典型的な美人条件として尊ばれた。ただし、一定上の身分のある女性近親者以外の男性顔を見せないものとされたため、男性はめあての女性寝所忍んで行きほの暗い灯火の下で初めてその姿を見るということが普通であった化粧は、顔に白粉塗り、眉を除去して墨で描き引眉)、歯を黒く染める(お歯黒)といったもので、健康美よりはむしろ妖艶さ強調された。当時女性成年年齢初潮迎え1214歳であり、30代はすでに盛り過ぎた年齢みなされていた。ちなみに、しばしば言及される引目鉤鼻源氏物語絵巻等の平安絵画において高貴な人物を描く際に用いられ表現技法の名称である。六歌仙一人である女流歌人小野小町は、当時美人からして絶世の美女であったとされている。 戦国時代日本30年以上滞在した西洋人ルイス・フロイスは「ヨーロッパ人大きな目美しいとしている。日本人はそれを恐ろしいものと考え、涙の出る部分閉じているのを美しいとしている。」と、当時日本人大きな目よりも絵巻物美人画描かれるような涼しい目を理想としていた様子記している。 江戸時代には、日本では色白きめ細かい肌、細面小ぶりな口、富士額涼し目元鼻筋通り豊かな黒髪美人典型とされた(浮世絵見られる女性は、当時理想的な美人様式化した作品である。詳しく美人画参照)。当時最も売れた化粧指南書都風俗化粧伝』において「目の大なるをほそく見する伝」という項が存在し、目に関しては現在とは異な美意識だったことを表している。井原西鶴の『好色五人女』には、低い鼻を高くしてほしいと神社で無理な願いことをする、との記述があり、当時鼻の高さを好んだ傾向伺える。こうした美意識は、明治時代から大正時代に至るまで美人像の基調となった一方で明治時代に入ると欧化主義とそれに伴う洋装化動き起こり大正時代関東大震災後からパーマネント断髪口紅を唇全体に塗るなど、従来美意識相容れないような西洋式美容広まり欧米影響強く受けて白人に近い顔立ち美人とされ、白人特徴であるブロンド茶髪大きな眼や碧眼(青い目)、薄い唇、高い鼻、スマートな体型などが憧れ対象となった戦後では雑誌マスメディア通じて化粧品メイクに関する情報広く共有され、白い肌美肌小顔細面大きな目二重まぶた細長くて程良く高い鼻・曲線美脚線美人気のある平均身長痩せ型など、ファッションモデル産業と密接に結びついた審美観が普及している。特に印象全体可愛さ兼ね備えている童顔白人白人ハーフ人気傾向にある。 また、プリクラ加工アプリなどの画像加工による美の追求盛んに行われている。その反面容姿美醜従来以上に女性幸福感左右するようになり、こうした傾向摂食障害美容整形への過度依存など、身体的精神的健康むしばむ新たな問題生じている。 ただ、ここ最近になって外見けにとらわれずに女性本人印象人間性所作などの内面性に焦点当てて雰囲気美人」や「性格美人」などの言葉最近になり派生し注目されはじめている。反対に外見だけが秀でていても内面性がよくないと「美人」として認知されないケースもある。

※この「日本における美人像」の解説は、「美人」の解説の一部です。
「日本における美人像」を含む「美人」の記事については、「美人」の概要を参照ください。

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