新国立競技場コンペ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 05:59 UTC 版)
「ザハ・ハディッド」の記事における「新国立競技場コンペ」の解説
「国立競技場デザインのザハ・ハディド案」も参照 2020東京五輪に使用予定で、当初は2019ラグビーW杯も行われる予定だった国立競技場の国際コンペが2012年に実施され、彼女のデザイン案が選ばれた。なお、最初はコンペへの参加に消極的だったとも言われる。 その後、設計責任を負わないデザイン監修者として監修料13億円 で施主の日本スポーツ振興センター(JSC)と契約し、設計自体は日本の設計者が担当していった。 流線形が注目された一方で、巨大さが景観を損ね、建設費も莫大過ぎるとして、一部アスリートも含め各方面から批判が噴出していった。2013年11月に約25%縮小するも、年間維持費は約41億円に上るともいわれた。ただし、規模は施主のJSCが定めた応募条件であり、決して彼女に非は無いともいわれた。 2015年10月に着工予定だったものの、同年7月17日、安倍晋三首相は建設計画の白紙撤回を決断。都倉俊一を座長とする、「有識者会議」の下部組織である「施設利活用(文化)グループ」には、NHKの石原真 もメンバーに加わっており、当日の『NHKニュース7』での岩田明子記者 の解説など、「内閣不支持率が支持率を上回った結果(の動き)」という見方もあった。彼女のデザインを推したコンペ審査委員長の安藤忠雄は前日の会見で、建設費まで視野に入れる義務はなかったし、2,520億円(7月7日の最終試算額)に驚いたと述べていた。 7月28日にザハ事務所は、建設費高騰を「デザインそのもの」が原因とした菅義偉官房長官の見解 等への反論声明 を改めて発表。また、鉄骨ボックス構造でない低コストの新案 にて、建設に関与し続けたいアピールもした。その後、2013年の時点で小規模案への変更提案を検討していたことも明かし、特徴でもある2本のキールアーチの有用性も示した 約23分間の解説動画 と91枚のPDF資料 を公表した。再コンペには日建設計と組んで参加する計画だったが、今回は「デザインビルド方式」で、組む施工者が見つからず応募(9月18日締切)を断念した。隈研吾のA案採用が決定した12月22日には、座席などの内部が「我々のデザインに驚くほど似ている」とコメントし、知的財産権を主張した(もう一方のB案で敗れた伊東豊雄も柱割りなどの類似性を指摘した)。年明けの1月14日にザハ事務所は、監修料の未納分を支払う代わりに著作権を譲るようというJSCからの要請を断り、書面を送付して著作権交渉を求めたことを明かした。 彼女の最初の案は、スロープが隣接の首都高や線路をまたぐスケールだったが、縮小後の案には、ダイナミズムの低下(槇文彦)、亀のような鈍重な姿(旧知の磯崎新) との声があった。一方で、竹中工務店出身の吉田研介 や「ザハ流の3次元設計」を高評価する藤村龍至 らの建築家や、作家の岩崎夏海 や経済アナリストの森永卓郎 やタレントのDAIGO など、惜しむ意見もあった。リカルド・トッサーニは、日本の建築家による木造建築を想起させる新デザイン(A案・B案)を「妥協案」と評し、ザハ案のほうが未来への方向性が見られたとコメントした。なお、NHKが2015年8月に単独インタビューを実現したが、多忙のため、ほぼ事務所のジム・ヘベリン がマスコミ対応などをしてきた。
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