文学的成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:06 UTC 版)
詩を書き出して最初の25年間、オウィディウスの文学的才能は主に、エレギーア形式の恋愛詩に注ぎ込まれた。これらの初期作品を時系列に並べる確実な方法は存在しないが、暫定的な順番が長年の慣習として確立している。現伝する最も古い作品は『名婦の書簡』である。この詩作品は神話伝説に登場する女性たちがそれぞれの恋人たちに宛てた手紙という体裁をとっており、紀元前19年に出版された。出版年の根拠は、『愛の歌』2.18.19–26 に付された注釈である。なお、同注釈には出版された初期作品集について言及していると考えられる記述がある。そこの記述にある詩のいくつかについて、ほんとうにオウィディウスが作ったものであるのか、疑問も呈されてはいるが、この初期作品集にはおそらく14本の詩が含まれていた。 恋人のコリンナに宛てた一連の恋愛詩『愛の歌』の現伝する最古の版は紀元前8年から3年ごろに出版された3巻本である。この版は改訂版であって、1巻目の冒頭に付されたエピグラムによると、それ以前の紀元前16年から15年に5巻本の初版が出版されたらしい。この『愛の歌』の初版と改訂版の出版の間に、悲劇『メーデーア』が制作された。『メーデーア』は悲劇としてはオウィディウスの処女作であって、古代においては評価が高かったものであるが、現伝していない。 次なる作品は『女の化粧論』という化粧術についての詩作であり『恋の技法』の序奏的性格を持つ作品であるが、現在では不十分な断片しか残っていない。『恋の技法』は紀元前1年から紀元2年にかけて 3巻に分けて出版された作品である。内容や言葉遣いの点で、教訓詩のパロディとして詠われ、異性を誘惑し、ものにするための手練手管のマニュアル本となっている。オウィディウスがのちのち自身の追放の原因として婉曲的に「過ち」と詠ったのは本作のことであった可能性がある。これに引き続き前作の解毒剤的内容を持つ『愛の治療』が紀元2年に制作された。これら一連のエロースに満ちたエレギーア形式の恋愛詩によって、オウィディウスはガッルス、ティブッルス、プロペルティウスらに代表されるラテン恋愛詩人の中の一座を占めるに至った。そして彼自身も、自らをティブッルスらに次ぐ四番目の詩人とみなした。 紀元8年には『変身物語』15巻を完成させた。本作は宇宙開闢からユリウス・カエサルの神格化に至るまで、ギリシア神話やローマ神話におけるさまざまな変身をモチーフにした話を網羅的に集めたものである。人やニンフが木や岩、動物や花々に、あるいは星座へと、新しい身体を得て変身する神話譚が一貫して、「英雄韻律」として知られるヘクサメトロス(長短短六歩格)で次々と詠われていく野心的な詩作品である。オウィディウスは『変身物語』と並行して、『祭暦』の制作を進める。『祭暦』はローマの年中行事(英語版)と天文学をエレギーア調で詠ったものであるが、6巻まで制作された時点でオウィディウスが追放される事件が起き、制作が中断された。追放先で詠んだ部分は彼自身の手で破棄されたと考えられている。したがって、未完で終わった。一方で『変身物語』は追放前に完成させている。もっとも、追放されている間は自作に手を入れて決定稿とすることはしないと『悲しみの歌』第1巻第7歌で述べているため、完成していないとも言える。また、偽作説のある『往復書簡』(『名婦の書簡』の続編)の5つの手紙が詠われたのも、もしもこれらがオウィディウスの真作であるならば、この時期であると考えられている。
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