文学的業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 08:10 UTC 版)
「ジグムント・クラシンスキ」の記事における「文学的業績」の解説
クラシンスキは才能に恵まれ、数カ国語に通じ、フランス語でもポーランド語でも同じように不自由なく文章を書くことができた。愛人であったデルフィナ・ポトツカとの往復書簡だけでも十分立派な文学的達成だったとの判断もある。 クラシンスキは十代のうちにウォルター・スコットに影響を受けた歴史小説を書き、散文で書かれた戯曲はポーランド文学史の中でも傑作に数えられる。1833年にウィーンとヴェネツィアで書かれた『非・神曲 Nie-Boska komedia』は、この当時としては階級闘争をほとんどマルクス主義者に近い措辞であつかった唯一の作家といえる。ミツキェヴィチはコレージュ・ド・フランスの講義で『非・神曲』を分析し、スラヴ演劇最高の達成であると認めた。 壮年期になってから詩作に向かうが、自身「詩人と認められるほどの天使のような天分はない」と嘆いている。その詩は韻文で書かれた歴史論文に似て、そこに盛られた貴族と農民の融和を呼びかける内容はクラシンスキの友人であるスウォヴァツキによって厳しく批判されている。
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