文学的経歴
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初期の短編集は複数の出版社から何年にもわたって拒否された。デビュー作の短編集『病気の通訳』は最終的に1999年に 刊行された。『病気の通訳』に収められた物語は、インド人またはインド系移民の生におけるジレンマを、結婚生活における困難、失敗、アメリカ移民1世と2世の間の断絶といったテーマとともに、繊細な語り口で語っている。ラヒリは後にこう語っている。「小説を書き始めた頃、私にとっての主題がインド系アメリカ人の経験だということに気付いていませんでした」。『病気の通訳』はアメリカの批評家から賞賛された。だが、インドでの批評はさまざまで、熱狂的に歓迎するか、ラヒリがインド人に肯定的な光を当てて描いていないことに当惑するかであった。同書は60万部を売り上げ、2000年のピューリッツァー・ノンフィクション賞を受賞した。 2003年、ラヒリは初の長編小説『その名にちなんで』を刊行した。物語はガングリ一家の人生の30年にわたっている。物語で、カルカッタ生まれの両親は青年時代にアメリカに移住した。両親はアメリカでゴーゴルとソニアの2人の子供をもうけたが、2人の子供は両親との世代および文化的なギャップを経験しながら育っていった。2007年3月にはミラ・ナイール監督により、同書を原作とする映画『その名にちなんで』が公開された。 ラヒリの短編集第2作『見知らぬ場所』は2008年4月1日に刊行された。刊行されると『見知らぬ場所』はニューヨークタイムズ・ベストセラー・リストの第1位に輝いた。 ラヒリは『ニューヨーカー』誌とも密接な関係にあり、多くの短編を発表している。それらの多くはフィクションだが、少数のノンフィクションも含まれており、それらのうち最も知られているのは『故郷への長い道 - 料理教室』である。これは、ラヒリと彼女の母との関係における食物の重要性に関する物語である。 ラヒリは2005年から、著作家たちの間の親交と知的協働を推進するための組織、PENアメリカン・センターの副代表となった。 2013年に長編小説『低地』を発表、ローマに移住後の2015年にはイタリア語で書かれた初めての作品であるエッセイ集『べつの言葉で』を、2018年にはイタリア語による初の長編小説『わたしのいるところ』を発表している。
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