後期の学術活動と拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:00 UTC 版)
「アレクサンドリア図書館」の記事における「後期の学術活動と拡張」の解説
3代目の図書館長キュレネのエラトステネス(前280年頃生-前194年頃死)はその科学的研究によって今日最も良く知られているが、文献学者でもある。エラトステネスの最も重要な業績は『Geographika』である。これは元来3巻本であった。この作品自体は現存していないが、数多くの断片が後の地理学者ストラボンの著作中での引用を通じて保存されている。エラトステネスは地理学と地図作成に数学を適用した最初の学者であり、彼の著作『地球の測定について』の中で地球の円周を数百キロメートル以下の誤差で計算した。エラトステネスはまた、既知の世界全体の地図を作成した。この地図にはアレクサンドロス3世のインド遠征(英語版)の記録と、プトレマイオス朝の象狩り遠征隊によるアフリカ東海岸沿いの記録を含む、アレクサンドリア図書館が保持していた史料から得られた情報が組み込まれた。 エラトステネスは地理学を科学分野へと前進させた最初の人物であった。エラトステネスはホメロスの叙事詩の設定は完全に空想のものであると考えており、詩の目的は実際の出来事について歴史的に正確な説明を与えることではなく、「魂を捕らえること」であると主張した。ストラボンは「もし男が風の山羊皮を縫う革職人を見つける時が来たならば、彼はオデュッセウスが流浪した場所を見つけるかもしれない[訳語疑問点]」というエラトステネスの皮肉なコメントを引用している。その間、アレクサンドリア図書館の他の学者たちもまた科学的問題への興味を見せていた。エラトステネスの同時代人であるタナグラのバッキオス(英語版)はヒポクラテス全集(英語版)の医学的著作に編集と注釈を行っている。医師ヘロフィロス(前335年頃生-前280年頃死)とエラシストラトス(前304年頃生-前250年頃死)は人体解剖学を研究したが、人体の解剖を不道徳とみなす抗議によってこれは阻まれた。 ガレノスによれば、この頃プトレマイオス3世はアテナイにアイスキュロス、ソフォクレス、そしてエウリピデスの原本の貸し出し許可を要請した。アテナイはこれに対して返却を確実にするために15タラントン(1,000キログラム)の貴金属という巨額の保証金を要求した。プトレマイオス3世はオリジナルをアレクサンドリア図書館に保管し、最高品質のパピルス紙で高価な写本を作成してそれをアテナイに送り、アテナイ人に対して、これで彼らの知恵を保管することができると伝えた。この物語はプトレマイオス朝時代のアテナイに対するアレクサンドリアの力を示すものと誤解釈されるかもしれない。この内容はアレクサンドリアが本土とファロス島の間にある東西両方向の貿易に適した港であり、設立後すぐに国際的な貿易ハブとなりパピルスと、すぐ後には書籍の主要な生産者となったという事実から生じている。アレクサンドリア図書館の拡張に伴い、集めた巻物を保管するスペースがなくなったため、プトレマイオス3世の治世中に、王宮そばにあったグレコ・エジプトの習合神セラピスの神殿セラペウム(英語版)に姉妹館が開かれた。これは王宮そばにあった。
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