引退後長期間髷を残した例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 04:30 UTC 版)
1901年1月場所を最後に現役を引退して年寄・二十山を襲名、二十山部屋を創立した17代横綱・小錦は、引退後も7年間髷を付けたまま勝負検査役・取締役に就任した。腰が低く、誠実・真面目な人柄で平年寄と変わらぬ働き振りであったため人望を集めたとされる。なお、髷を切った具体的な時期・断髪式の実施の有無・引退直後に断髪式を実施しなかった理由はいずれも不明とされる。 1971年3月場所で引退した元幕内・魁罡は、当初の年寄を襲名せずに角界を去る意向に反し、師匠初代若乃花幹士が年寄襲名届を出したことにより1971年3月28日付で年寄・放駒を襲名。しかし自身の意思は変わらず、翌日3月29日付で自ら廃業届を提出し、非常に珍しい「年寄在任期間1日」という最短記録を残し角界を去った。その後魁罡は髷を残したまま名古屋市でスナックを経営したが、髷を切った具体的な時期・断髪式の実施の有無・引退直後に断髪式を実施しなかった理由はいずれも不明とされる。 1977年9月場所を最後に廃業した元十両・力駒は、直後の1977年11月26日に師匠吉葉山潤之輔が死去したため、「師匠に止め鋏を入れていただかないと髷を落とせない」と言い続け、廃業以降20年以上に亘り髷を残し続けた。50歳の時に行った“20年越しの断髪式”では、先々代の遺影が見守る中、現役時代の弟弟子で当時の宮城野部屋師匠竹葉山真邦が止め鋏を入れた。 1981年11月場所で廃業した元幕内・大旺は、師匠初代若乃花幹士と当時その娘婿だった2代目若乃花幹士(のち離婚)との対立に巻き込まれる形で断髪式が行われなかった。大旺は髷をつけたまま相撲料理店を開き「一国一城の主になったら髷を切る」というつもりだったが、逆に髷が店のシンボルになったため「切るに切れない」状況になってしまった。しかし、2014年、相撲協会の停年にあたる65歳を前に断髪をした。 2010年の大相撲野球賭博問題で解雇処分になった元大関・琴光喜は、解雇後、日本相撲協会を相手取って「地位保全」を裁判所に訴えていたが、敗訴が確定。2015年2月7日に都内のホテルで「けじめをつける」という意味で断髪式を行った。断髪式には師匠琴ノ若晴將こそ姿を見せなかったものの、白鵬・日馬富士・鶴竜の当時現役の3横綱、弟弟子の大関・琴奨菊など350人が鋏を入れ、当時相撲協会の理事の貴乃花光司が止め鋏を入れた。元大関とはいえ、不祥事で解雇された力士の断髪式に現役の横綱・大関、さらに協会の理事も出席したというのは上述の例と比べても異例であった。 2011年の大相撲八百長問題で八百長に関与したとして引退勧告処分を受けたものの関与を否定し、引退届を提出しなかったため解雇処分になった元十両・星風も、解雇後に日本相撲協会を相手取り、力士としての地位確認と慰謝料を求める訴訟を起こしたが、2012年5月24日の第一審で敗訴。同判決が下された後の記者会見では、髷をほどいた総髪姿だったため、少なくとも解雇から約1年2ヶ月間は髷(が結える長さの頭髪)を残していたと見られる。最終的に2013年10月29日付で上告が退けられたことで、解雇が確定した。2014年2月24日にはIGFに参戦を表明し、デビュー日も発表されたが、同日の記者会見では短髪になっていた。断髪式の実施の有無は不明とされる。 2019年後半から2020年に現役を引退し、2020年以降に両国国技館での断髪式を予定していた力士が、新型コロナウイルス感染症拡大防止の為に設けられた「イベント開催時における収容人数制限」の関係上、断髪式を相次いで延期した。このことに因り2020年後半以降、髷が残った年寄が最も多い時期で15名も在職する事態となった。以下に年寄を襲名後1年以上髷を残した(残し続けている)元力士に限定の上、その実例を挙げる。 四股名年寄名引退日断髪式実施日髷を残した期間元関脇・安美錦 安治川 2019年7月17日 2022年5月28日 2年316日 元関脇・嘉風 中村 2019年9月12日 2022年2月5日 2年146日 元前頭・誉富士 楯山 2019年9月20日 2022年2月19日 2年152日 元大関・豪栄道 武隈 2020年1月28日 2022年1月29日 2年1日 元前頭・蒼国来 荒汐 2020年3月26日 (未実施) 2年50日以上 元関脇・豊ノ島 井筒 2020年4月17日 2022年5月28日 2年41日 元関脇・栃煌山 清見潟 2020年7月15日 2022年1月30日 1年199日 元大関・琴奨菊 秀ノ山 2020年11月14日 (未実施) 1年182日以上 元横綱・鶴竜 鶴竜 2021年3月24日 (未実施) 1年52日以上 その他、2020年1月場所に引退した元幕内・荒鷲、同7月場所前に引退した元十両・徳真鵬(上述)、同年11月場所に引退した元小結・臥牙丸も、収容人数制限の影響を受け引退から断髪式まで1年以上のブランクが生じた。
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