引退後・第一次世界大戦出征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 06:09 UTC 版)
「クリスティ・マシューソン」の記事における「引退後・第一次世界大戦出征」の解説
1918年、第一次世界大戦に出征。化学作戦部隊に属して、毒ガスの使用法とそれに対する防御方訓練を受け、ヨーロッパの戦場へと駆り立てられた。一行の中にはジョージ・シスラーやタイ・カッブもおり、いずれも教官として毒ガス・火炎放射器部隊へと配属させられた。当時、その部隊は陸軍きっての劣等兵が集められており、スポーツ選手の言うことなら聞くだろうという理由からのものであった。その指導の賜物もあり、劣等兵とみなされた兵士たちも渋々ながらも命令に従っていくようになる。 当時の訓練の一つに「兵士たちを気密室に送り込んで、警戒なしに毒ガスを放出する」という危険なものがあり、全ての兵士は手の合図を見ただけでガスマスクをかぶらなければならなかった。しかしある日、マシューソンやカッブたちは肝心の信号を見落としてしまい、毒ガスの充満する気密室に閉じ込められた。マシューソンやカッブは毒ガスをいくらか吸い込んでようやく事態に気がつき、すぐにマスクをつけ、手探りで壁を見つけて外に転げ出た。この時は肺が侵されていることに気づかなかったが、それから数週間の間、胸から無色の痰が排出され、恐ろしい咳が続いたという。その後カッブはかろうじて回復しており、後にカッブは痰が止まったとき、本当に救われた思いがしたと振り返っている。実際にこの事件で閉じ込められた16人のうち、8人までが死亡している。 その一方でマシューソンはカッブに「タイラス、あそこで毒ガスを嫌と言うほど吸ってしまったんだ。ひどく気分が悪いんだよ」と語りつつ血がまじった痰を吐くなど、肺を病むこととなった。そしてこの訓練こそがマシューソンの死の遠因となった。
※この「引退後・第一次世界大戦出征」の解説は、「クリスティ・マシューソン」の解説の一部です。
「引退後・第一次世界大戦出征」を含む「クリスティ・マシューソン」の記事については、「クリスティ・マシューソン」の概要を参照ください。
- 引退後・第一次世界大戦出征のページへのリンク