引退後経歴
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2005年10月27日から下部リーグのケタリング・タウンFCの監督に就任し、指導者としての再起を図るも、就任から39日後の同年12月5日に飲酒によるトラブルにより解任された。この日の深夜にリヴァプール市内のホテルの外で、新聞社のカメラマンへ暴行を加えた容疑により逮捕された。 2006年11月、ロンドン西部のナイトクラブで男性に暴行した容疑で地元警察に身柄を拘束された。 2008年2月、ホテルの従業員から通報を受け警察は、深刻な精神障害に犯された者を強制的に精神病院に収容できるという心の健康に関する法律に基づき、イングランド北東部のゲートヘッドのホテルでガスコインを拘束(警察発表では負傷者及びホテルへの被害は無し)、“メンタルヘルス法”に基づき精神病院へ強制収容された。同年9月18日、パブの窓を激しく叩いたとして器物損壊容疑で逮捕された。 同年11月、国税庁から未納金推定20万ポンドの支払いを命じられ納税まで9週間の猶予が与えられたが、自己破産の可能性も出てきたとの報道もされた。12月には息子がチャンネル4制作のドキュメンタリー番組のインタビューに応じ「出来ることなら家族の前から消えてほしい」と発言するなど身内からも見放された状態となった。このような状況から、彼を取り巻く状況は日を増すたびに悪化していったが、2009年のインタビューではリハビリ施設にて健康維持療法を受け、アルコールと薬物依存から決別し健全な生活を取り戻すことに意欲を示していた。 2010年2月8日、ノース・ヨークシャーの飲食店で友人と共に騒動を起こし、飲酒運転の容疑で警察に逮捕された。翌日に揃って保釈されたが、出所祝いに立ち寄ったバーで店員と口論となり2夜連続で逮捕された。また、選手生活で手に入れた1400万ポンド(約20億円)の財産が底をつき自活不能な状況にあるため、プロフットボール選手協会(PFA)に住居を確保してくれるよう依頼があったとの報道がされた。 同年7月9日、ガスコインは同月3日に刑務所を出所したばかりの男が元恋人の交際相手を銃殺し逃走した容疑で指名手配された事件(2010年ノーサンブリア事件(英語版))に関心を持ち、容疑者がイングランド北東部のノーサンバランドにあるロスベリー(英語版)という村で発見され警官隊に包囲されたと知るとタクシーを使って現場を訪れ「彼は私の友人だ」と主張した。その際に飲食物(ビールと数個のチキン)と釣り竿と衣類を差し入れ容疑者との面会を求めたが、ガスコインの申し出は警察により拒否され、容疑者は警察が包囲してから6時間後に拳銃自殺を図った。後にガスコインは、この時の騒動について「自宅で酒を飲んでいたところ、ニュースで事件を知った。彼とは面識はない」「(容疑者に面会を求めたのは)彼には話し相手が必要だと考えたからだ。しかし、容疑者が元恋人の交際相手を殺害し警官を狙撃したことは理解していなかった。あの時の行動を考えると気が咎める」と回答している。 同年9月、ノーザンプレミアフットボールリーグディヴィジョン1ノース(8部リーグに相当)のガーフォース・タウンの監督に就任するとの報道がされた。本人も現場復帰に意欲を見せ、同クラブの代表者は「営利目的ではなく、困難な人生を歩んでいる彼のような人物に再びチャンスを与えたい」と発言していた。PFAの最高責任者もガスコインの復帰に関して今後もサポートを続けていくことを表明していたが、最終的にこのオファーを辞退。 この報道から数日後の10月8日、ニューカッスル市内の路上で白昼に飲酒の上、蛇行運転をしていた容疑により再び逮捕。取調べの際に法律で定められている酒気帯び運転の基準値の約4倍の濃度のアルコールが検出された。 同月21日、自宅に薬物を隠し持っていた容疑で逮捕された。ガスコインの逮捕は2010年に入って4度目。
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