解雇後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:19 UTC 版)
妻とロシアに帰国後、友人を通じてボクシングや総合格闘技のエージェントと繋がりを持った。そのエージェントがNFL関係者に元若ノ鵬を紹介したという。 アメリカンフットボールのプロ選手となることを目指し、2010年、アメリカ合衆国フロリダ州のウェバー国際大学(英語版)でカレッジフットボールの選手となった。ウェバー国際大学で2年間プレーしていた頃にウズベキスタン出身のマネージャーと出会い、その人物は元若ノ鵬の英語学習を助け、プロリーグへの紹介を約束した。しかし、元若ノ鵬がフットボールの基本について理解を深めることに時間がかかったことから、すぐにNFLには紹介されなかった。 そこで、2012年はサウスフロリダ大学のフットボールチーム(サウス・フロリダ・ブルズ(英語版))に移籍した。しかしこの年のシーズンにサウス・フロリダ・ブルズは低迷し、シーズン終了後にコーチ陣が刷新され、若ノ鵬もメンバーから外されることとなった。 2011年には父親が死去し、貯蓄も尽きたため、大学の授業料を払うことが困難になっていた。また2012年2月に妻と離婚、妻と娘はロシアに帰国した。 2013年からはウォーナー大学(ワーナー大学)(英語版)のフットボールチームに所属。同年4月にアスリートビザでは認められない一般の就労をしたとして4週間の拘留を受けた。この拘留によってジャクソンビルジャガーズとトレーニングをするチャンスを逃し、強制送還の可能性があると見られたことでエージェントを失ったという。2014年4月にはアメリカ人の女性と再婚しており、アメリカの永住権取得を考慮していると報じられている。 2014年8月には、引き続きウォーナー大学に所属していると報じられていたが、同大学のフットボールチームの2014年メンバー表には名前が見当たらない。 フットボールと並行して、アマチュア相撲でも活動している。2013年9月にはUS Sumo Openというアメリカのアマチュア相撲大会に出場し、重量級でウラムバヤル・ビャンブジャブ(元幕下・大翔地)に次いで2位に入賞した。2014年にもUS Sumo Openの重量級に出場したが、準決勝でモンゴルのアルタンゲレル・ダワニャム(元柔道家)に敗れ、続く3位決定戦でもアメリカのロイ・シムズに敗れて入賞を逃した。また、全米各地で行われる元大相撲力士たちのエキシビジョンにも参加している。
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