年代範囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 17:07 UTC 版)
グスク時代の年代範囲は研究者により異なり、また年月と共に変遷している。1970年代におけるグスク時代の開始時期は、10世紀前後であったが、1980年代は12世紀頃が主流となった。嵩元政秀の1972年に発表された論文によると、10世紀に現れた「フェンサ下層式土器」は、貝塚時代後期の土器の特徴を持ちながらも、この土器が発掘された遺跡の多くは、農耕に適した丘陵上の土地に形成され、さらに中国製青磁も出土することから、10世紀頃をグスク時代の開始時期とした。その後の12 - 13世紀の「フェンサ上層式土器」は平底で、農耕的な土器へ変化し、鉄器や陶磁器も出土するなど、グスク時代を象徴する生産経済社会に突入したと述べている。しかし嵩元は、1983年の著書『沖縄のグスク時代』には、「フェンサ下層式土器」の出現年代を10世紀から11 - 12世紀に訂正し、さらに『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』(1991年)にも嵩元が執筆した〈総説 グスク時代〉の項目にも、「グスク時代は西暦1200年前後に始まるのが妥当」と述べている。また當眞嗣一と上原静は、グスク時代開始期を12世紀後半頃としている。 安里進は、城塞として機能したグスクの築城時期をグスク時代の開始期を検討する材料の一つと考えているが、単にグスクの出現時期を、グスク時代の開始期とするのは無意味であると述べている。なぜなら、城塞や集落、拝所といった祭祀施設などの多種多様なグスクが混在し、どのグスクの出現をもって、グスク時代の開始期とするのかを問題にしなければならないからである。そこで安里は、防護のために岩山の頂上部に二重ないし三重に石垣を囲み、また武器や高価な交易品が出土するなど、城塞的に機能した大型グスクに注目し、数千から数万平方メートルの琉球独特の大型グスクが形成された時期を、グスク時代とするのは当然だとした。そして安里は、大型グスクの出現時期と思われる13世紀頃を「政治的時代」(狭義のグスク時代)の開始期とし、農耕社会に適した広底土器が出現した10世紀頃(その後11世紀頃に修正)から13世紀頃までを、「生産経済時代」(後に「原グスク時代」)とした。 グスク時代の終了年代は、第一尚氏が三山統一を果たし琉球王国が成立する15世紀前半、もしくは王政が確立したとされる第二尚氏尚真王時代の16世紀頃としている。安里進は、島津侵入により、防塞機能を持ったグスクが消滅した時期ではなく、文献史料により明らかにされた三山の統一、つまり琉球王国の成立時期をグスク時代の終末とした。また當眞嗣一は、八重山を支配していたオヤケアカハチが、中央集権政策を図った尚真王によって討伐された時期を、グスク時代の終焉とした。 1980年に高良倉吉は、琉球・沖縄の歴史区分を5つに大別した。その一つの「古琉球(古代沖縄)」の始まりは、米・麦などの穀物栽培が沖縄に拡大、さらに外来からの文化的な変容により、先史時代と異なる社会的変化の様相を呈する段階とした。そして高良は、グスク時代を按司時代から三山時代までの年代と一致すると解し、グスク時代は古琉球を前・中・後期の3期に区分した時の前期に相当すると述べている。また高良が作成した年表に、三山時代はグスク時代の後半に含まれ、グスク時代全ての範囲を埋めていない。今日において、高良の設定を基にした沖縄の時代区分が、一般的に用いられている。
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