川嶋紀子との婚約に至る経緯とは? わかりやすく解説

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川嶋紀子との婚約に至る経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 08:05 UTC 版)

秋篠宮文仁親王」の記事における「川嶋紀子との婚約に至る経緯」の解説

学習院大学在学時、一年下級川嶋紀子当時)と知り合いサークル活動等を通じて交際深めていた。 皇太子・明仁親王当時)と同妃美智子当時)は、既に紀子のことは知っていたが、礼宮同年12月葉山静養中の両親紀子会わせた皇太子および同妃は、学習院大学馬術部親睦会紀子の父・川嶋辰彦何度も顔を合わせていることもあり、紀子皇太子および同妃の出会いは、とてもスムーズなものであったという。 それから間もなく明仁親王は「2人のことを前向きに検討してほしい」と当時東宮職指示をし、職員たち2人交際承知した一方でゴシップ記事として報道されるのを防ぐため、サークルにおいても離れて写真写ったり、記者近くにいる時は友人割って入ったりしていたという。 1989年平成元年8月26日川嶋紀子との婚約内定報道される昭和天皇喪中大喪)であること、兄・徳仁親王がまだ独身であること、文仁親王自身留学中の身であることから時期尚早との批判もあったが、両親や兄からの反対はなく、宮内庁は、挙式結納に当たる「納采の儀」など晴れ儀式は、喪中ふさわしくないものの、皇室会議開催喪中でも差し支えない判断している。 そもそも皇室服喪三期分けられ第一期・第二期50日の合計100日間過ぎればその後第三期は「心喪」という服喪形式とられる心喪とは、この期間中天皇はじめ各皇族は公の行事には出席するが、神事のみ遠慮するという形式服喪である。また、原則として結婚等の祝賀行事行われないが、特別な理由があれば認められるまた、1947年昭和22年)に廃止され皇室服喪令その後踏襲していると考えれば皇族服喪期間続柄によって期間が異なり祖父である昭和天皇対す礼宮服喪期間150日であることから、きちんと喪が明けた後に婚約発表が行われていることになる。ちなみに過去において1例だけ服喪期間中の婚約発表があり、祖母である貞明皇后に対して同じ150日の服喪期間があった順宮厚子内親王池田隆政婚約内定した旨を、1951年昭和26年5月17日貞明皇后崩御からわずか2か月足らず同年7月11日に、昭和天皇が自らの裁可田島宮内庁長官命じて公式に発表させている。昭和天皇崩御から8か月後に皇室会議決定として発表され礼宮場合など、この事例比べれば何の問題もないといった見解宮内庁関係者示している。 兄弟結婚順番逆になることについても、天皇・皇后が子の意思尊重する考えのため、宮内庁幹部も「一般家庭でもあることで、大きな問題ではない」と述べ、元東宮侍従浜尾実も「高円宮は兄の桂宮よりも先に結婚してます。これも前例があり、全く問題外です」とインタビュー語っている。また、徳仁親王1989年平成元年9月21日会見で、「2人の間が不安定になっているのはよくないので、2人結婚は私も強く勧めたところです」と述べた皇室会議では、海部首相開会宣言藤森宮内庁長官が「大学サークル自然文化研究会礼宮主宰テニスクラブでの活動通じて親交深め1985年昭和60年暮れには当時皇太子天皇から『2人交際前向きに検討してほしい』とのご指示もあった」と交際経緯川嶋紀子経歴家族略歴など説明した1年間服喪期間最長である第125代天皇明仁当時)などの喪が明け皇族全員服喪期間終えた1990年平成2年1月12日納采の儀執り行われ正式に婚約した皇室会議での可決指して婚約成立」であるとしている媒体多く、「秋篠宮昭和天皇喪中婚約会見開いたと言う者も存在する誤りであり、納采の儀正式な婚約成立である。宮内庁は公式HPにおいて、納采の儀ご婚約記載している(例:文仁親王同妃両殿下ご略歴)。また、皇位継承順位変更皇族婚姻等を合議するための皇室会議開催する権限内閣総理大臣にあり、2人婚姻は、田村元衆議院議長小野明参議院副議長矢口洪一最高裁判所長官伊藤正己最高裁判所判事藤森昭一宮内庁長官福田一衆議院議員三笠宮常陸宮全員満場一致可決している。皇室会議での可決受けた後の会見誤って婚約会見」だとしている媒体もあるが、宮内庁納采の儀が行われて初めて整う事としており、皇室会議での承認のみでは正式な婚約であるとは認めていない。また、この皇室会議婚約違いについて天皇は、「礼宮納采の儀喪明けなくてはならないが、皇室会議喪中でもいいのではないでしょうか」という話を側近語ったといわれる

※この「川嶋紀子との婚約に至る経緯」の解説は、「秋篠宮文仁親王」の解説の一部です。
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