岡田内閣
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岡田内閣(おかだないかく)は、後備役海軍大将の岡田啓介が第31代内閣総理大臣に任命され、1934年(昭和9年)7月8日から1936年(昭和11年)3月9日まで続いた日本の内閣。
注釈
- ^ 齋藤内閣の農林相から内相に横滑り。
- ^ 新年度予算案を閣議決定した2日後の11月26日に病状が悪化し慶應大学病院に緊急入院。翌日蔵相を辞任。
- ^ 二・二六事件で暗殺。
- ^ 1934年(昭和9年)12月26日兼任。
- ^ 相沢事件で引責辞任。
- ^ 1935年(昭和10年)12月26日叙爵。満州事変の功が理由だが、「功」とは戦功ではなく、満州事変の戦功により陸軍から本庄繁(事変当時関東軍司令官)・荒木貞夫(事変当時陸軍大臣)両大将が男爵に叙爵されることになったので、海軍からも誰かを叙爵する必要が生じ、事変当時海軍大臣だった大角に叙爵することとすることとなった。→ 詳細は「大角岑生」項を参照
- ^ 同日午後、帝大の医学部内科物理療法学教室30周年記念祝典に出席。あわせて創設者の真鍋嘉一郎教授の健康診断を受けたところ、心臓が肥大しているので注意するよう言われたがそのわずか3時間後に突如心臓麻痺を起こして急死。
- ^ 1935年(昭和10年)9月8日早朝、心不全で急死。
- ^ 病気療養のため辞任。
- ^ 内閣調査局長官(企画院総裁の前身)に転出のため。
- ^ 過去の著作『帝国憲法要説』が「天皇機関説的である」という理由で批判を受け、辞任。
出典
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和9年7月8日
- ^ 『官報』号外「辞令」、昭和11年2月26日
- ^ 『官報』号外「辞令」、昭和11年2月29日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和9年11月27日
- ^ 『官報』号外「辞令」、昭和11年2月27日
- ^ 『官報』第2397号「叙任及辞令」、昭和9年12月27日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和10年9月5日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和11年2月2日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和10年9月9日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和10年9月12日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和9年10月25日
- ^ 『官報』第2343号「叙任及辞令」、昭和9年10月22日
- ^ 『官報』第2343号「叙任及辞令」、昭和9年10月22日
- ^ a b 『官報』第号「叙任及辞令」、昭和10年5月13日
- ^ a b 『官報』第2257号「叙任及辞令」、昭和9年7月11日
- ^ a b 『官報』第2706号「叙任及辞令」、昭和11年1月11日
- ^ a b 『官報』第2265号「叙任及辞令」、昭和9年7月20日
- ^ a b 『官報』第2687号「叙任及辞令」、昭和10年12月16日
- ^ a b 『官報』第2601号「叙任及辞令」、昭和10年9月2日
- ^ a b c d 『官報』第2348号「叙任及辞令」、昭和9年10月27日
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