岡田八千代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 岡田八千代の意味・解説 

岡田八千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/14 15:43 UTC 版)

岡田 八千代
(おかだ やちよ)
誕生 1883年12月3日
広島市大手町
死没 1962年2月10日78歳
東京渋谷区
墓地 青山霊園
職業 作家
国籍 日本
活動期間 1902年 - 1962年
ジャンル 小説・戯曲・劇評・随筆
代表作 『新緑』(小説)
『黄楊の櫛』(戯曲)
『若き日の小山内薫』(随筆)
デビュー作 『めぐりあひ』
配偶者 岡田三郎助(1906-39)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

岡田 八千代(おかだ やちよ、1883年明治16年〉12月3日 - 1962年昭和37年〉2月10日)は、明治 - 昭和期の小説家劇作家、劇評家。芹影(きんえい)、芹影女、伊達虫子などの筆名を用いた。小山内薫は実兄にあたる。

『岡田八千代と夫 三郎助』 パリ

生涯

広島市大手町に生まれた。小山内建と錞との間の末娘だった。旧津軽藩士の建は、広島鎮台病院院長を勤めていた。錞は、江戸旗本小栗信の長女である。5子の上2人は夭折し、次女は事故で病身となり、次男の小山内薫と八千代とが育った。

1885年(明治18年)、建が没し、母子は東京市麹町区富士見町(現・千代田区富士見)へ移った。繁く芝居に連れられた。麹町幼稚園を終えると[1]、1887年富士見尋常高等小学校(現・千代田区立富士見小学校)[1]、1895年共立女子職業学校(現・学校法人共立女子学園)へ進み、成女学校専科へ転じて、1902年(19歳)に卒業した。

文学・演劇に打ち込む兄を尊敬していた。美貌の妹は、薫の友人らの気になる存在だった。卒業の年、『明星』誌に小品『めぐりあひ』を、『婦人界』誌に小説『おくつき』を発表した。森鷗外の弟三木竹二に認められ、彼の『歌舞伎』誌に劇評も書いた。

1906年(明治39年)(23歳)の年末、森鴎外の世話で画家の岡田三郎助と結婚し、渋谷区伊達町(現・渋谷区恵比寿三丁目)に新世帯を構えた。文筆活動が結婚で滞ることはなかった。1911年、平塚らいてうらの青鞜社の顧問となり、青鞜誌にも書くようになった。1903年 - 1915年の雑誌への掲載は、年に4 - 10件に及んでいる[2]

三郎助が八千代をモデルにした『縫ひとり』(1914年)や『支那絹の前』(1920年)は評判を呼んだが、不和となり、1926年、八千代は家を出た。別居生活は三郎助が亡くなるまで続いた。

演劇の評論ばかりでなく、新派歌舞伎の公演にも関わった。1922年(大正11年)、河合武雄二代目市川猿之助に頼まれて『芽生座』を興し、彼等の学齢期の子らのおさらい会を1926年まで4回公演した。子らの成長後は児童劇団に転身し、1930年まで5回公演した[3]

1923年(40歳)、親友の長谷川時雨に誘われ、2人で『女人藝術』を創刊したが、関東大震災のため2号で終わった。

1930年に『芽生座』を解散したのは、和解した三郎助とパリへ渡るためだったが、彼の地でまた割れ、八千代だけ1934年(51歳)まで滞まった。子は持たなかった。薫は1928年に急逝していた。

帰国後の1935年(昭和10年)(52歳)、新派の若手俳優らの未明座を組織して、1939年まで5回公演した。

1939年(昭和14年)夫の三郎助が没し、伊達町の家へ戻った。1940年から、長谷川時雨の『輝ク会』を手伝い、翌年、日本海軍将兵の慰問に中国中南部を回った。

敗戦後の1948年(昭和23年)(65歳)、『日本女流劇作家会』を作って会報『アカンサス』に『芝居の思い出』などを載せ、同会の『女流戯曲選集』、『現代女流戯曲選集』を監修した。また、ラジオドラマを書く、ラジオ放送する、劇を演出する、本に解説を書くなどもした。

1962年早春、インフルエンザ肺炎のために没した。青山霊園の夫の傍らに眠っている。

2016年八千代と夫三郎助、辻永の姿が生前16ミリフィルムで撮影されたものをもとにドキュメンタリー映画「あるアトリエの100年」が山崎欽毅監督らによって製作された[4]

単書

入れ子は、上の行の単書の、最近と思われる重版・再版である。

  • 『門の草』(短編集)(花の枝、曲者、いさご路、騙平太、花好み、争、下り藤、入相、茶の花、棕梠、朝あけ、月見草、秋のけはひ、寒月、初髷、王母珠、おはじき、継母、門の草)、如山堂(1906年)
  • 『新緑 上』(長編小説)、堺屋石割書店(1907)
  • 『新緑 下』(長編小説)、(金尾文淵堂)
  • 『黄橙』(小説)、春陽堂(1908)
  • 『恐怖』(長編小説)、水野書店(1909)
  • 『絵具箱』(小説集)(絵具箱、三日、同居人、お島、五月雨の頃、賊、九段坂下より、眠、相模屋、しがらみ草紙、習作戯曲の第一、黄楊の櫛)、籾山書店(1912)
    • 『絵具箱、三日、お島』は、「明治女流文学集(二)、筑摩書房 明治文学全集82(1965)」に収録
    • 『しがらみ草紙』は、「現代女流戯曲選集1956年版、ひまわり社(1956)」に収録
  • 『かをり』(小説)、「青鞜小説集1、東雲堂(1913)」の中
  • 『八千代集』(小説集)(紅雀、お伊勢、夢子、假裝、青い帽子、横町の光氏、堂島裏、雨、鷹の夢、餘計者、うつぎ、灯、駒鳥、指輪)、須原啓興社(1917)
  • 『忘れられた人形』、「新日本国民文学全集17、国民図書(1929)」の中
    • 「日本児童劇全集3、小学館 (1961)」に収録
  • 『若き日の小山内薫』、古今書院(1940)
  • 『青春』(オイゲン・チリコフ著の訳書)、時代社(1941)
  • 『白蘭』(随筆集)、大元社、(1943)
  • 『替へ扇』(舞踊劇)、「女流戯曲選集、ひまわり社(1954)」の中

出典

  • 野田宇太郎:『岡田八千代』(「小田切進編:『日本近代文学大事典 机上版』、講談社(1984)」の一項)
  • 大笹吉雄:『日本現代演劇史 明治大正篇』、白水社(1985)
  • 大笹吉雄:『日本現代演劇史 昭和戦中篇Ⅱ』、白水社(1994)
  • 戸板康二:『岡田八千代の兄』(「泣きどころ人物誌、文春文庫(1987)」の中の一篇)
  • 井上理恵:「岡田八千代の著作年譜」『吉備国際大学社会学部研究紀要 15』(2005)

岡田八千代を演じた人物

  • 高橋由美子:『美の巨人たち』(テレビ東京:2014年11月15日放送分)

『縫ひとり』 『支那絹の前』 の成立とその影響について、ミニドラマを交え解説。

脚注

  1. ^ a b 『小山内薫 近代演劇を拓く』 小山内富子 著、慶應義塾大学出版会、2005年2月、p.53
  2. ^ 福谷幸子編:『岡田八千代年譜』(「『明治女流文学集二』、筑摩書房 明治文学全集82(1965)」の巻末)
  3. ^ 富田博之:『日本児童演劇史』、東京書籍(1976)p.165 - 172
  4. ^ 「あるアトリエの100年」公式サイト

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岡田八千代」の関連用語

岡田八千代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岡田八千代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岡田八千代 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS