ほかの『女人芸術』誌
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1923年8月、長谷川時雨が、旧『青鞜』派の岡田八千代らと同人雑誌『女人芸術』を創刊し、平塚雷鳥、富本一枝らも加わった。第2号を出してのち、関東大震災にみまわれて終わった。編集発行人は長谷川康。発行所は、牛込区中町(現新宿区)元泉社内女人芸術社であった。時雨はこれを『前期女人芸術』と呼んでいた。 昭和24年1月号のみの『女人芸術』が、『女流文学者会』機関誌として鎌倉文庫から出た。この『女流文学者会』は、1936年に吉屋信子、林芙美子らが結成し、鎌倉文庫が倒産した1949年から1961年までの間、女流文学者賞を出していた。
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