岡田兼一とは? わかりやすく解説

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岡田兼一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 10:16 UTC 版)

岡田 兼一(おかだ かねかず、1882年明治15年)4月 - 1960年昭和35年)7月24日[1])は、日本外交官。駐南アフリカ連邦公使

経歴

山形県出身。東京外国語学校(現在の東京外国語大学)や東京専門学校(現在の早稲田大学)で学んだ[2]1916年大正5年)、外交官及領事官試験に合格し、広州に領事官補として赴任した[2]。以後外務事務官、通商局第二課勤務、臨時平和条約事務局勤務、イギリス大使館三等書記官、スウェーデン公使館三等書記官、同二等書記官、ストックホルム領事牛荘領事・関東庁事務官、安東領事・朝鮮総督府事務官、間島総領事・朝鮮総督府事務官を歴任した[2]1932年(昭和7年)にホノルル総領事に転じ、1934年(昭和9年)からは外務省文化事業部長を務めた[2]1938年(昭和13年)、駐南アフリカ連邦公使に就任した[2]

1941年(昭和16年)に退官した後は、青島居留民団長となった[3]

栄典

脚注

  1. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、115頁。
  2. ^ a b c d e 人事興信録 1939.
  3. ^ 人事興信録 1943.
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
先代
坪上貞二
外務省文化事業部長
1934年-1938年
次代
蜂谷輝雄



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