山下 (津山市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:27 UTC 版)
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山下
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鶴山公園・津山城の備中櫓と桜
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北緯35度03分45秒 東経134度00分15秒 / 北緯35.06250度 東経134.00417度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
地区 | 城北地区 |
人口 | |
• 合計 | 276人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 0868[3] |
ナンバープレート | 岡山 |
山下(さんげ)は岡山県津山市にある地名。郵便番号は708-0022[2]。
地理
吉井川の支流宮川の西に接するように位置する。人口こそあまり多くないが、鶴山公園が当地域のかなりの部分を占めている他、美作県民局やハローワーク津山などがある。
河川
- 宮川
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歴史
沿革
- 1870年 - 津山城下町の内、内山下が改称して山下となる。
- 1889年6月1日 - 町村制施行により、津山城下町の山下他、宮川以西の町が合併して西北条郡津山町となる。
- 1900年4月1日 - 津山町が東南条郡津山東町を編入するとともに、西北条郡が西西条郡、東南条郡、東北条郡と合併し、苫田郡津山町となる。
- 1923年4月1日 - 苫田郡林田村が町制・改称、津山東町となる。
- 1929年2月11日 - 津山町が周辺の町村と合併し、市制施行し、津山市となる。津山市京町41番地に市役所が置かれる[4]。
- 1934年2月11日 - 津山市役所の位置が津山市山下92番地に変更される[4]。
- 1971年 - 山下の一部が大手町となる。
- 1982年8月2日 - 津山市役所の位置が津山市山北520番地に変更される[4]。
世帯数と人口
2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
山下 | 163世帯 | 276人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
山下一区・山下四区 | 津山市立東小学校 | 津山市立北陵中学校 |
山下鶴山通り・山下三区・山下五区 | 津山市立林田小学校 | 津山市立鶴山中学校 |
交通
道路
- 岡山県道394号大篠津山停車場線(一部は鶴山通り)
- 岡山県道452号小原船頭線
(上記2つは重複区間)
施設
脚注
- ^ a b “住民基本台帳による町別男女別人口、世帯数” (日本語). 津山市オープンデータポータル「dataeye」. 2022年2月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年2月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年2月15日閲覧。
- ^ a b c 津山市例規内 総規より
- ^ “津山市立小・中学校の通学区域”. 津山市. 2022年2月15日閲覧。
参考文献
- 和泉橋警察署 『新旧対照市町村一覧』第2冊(東京:加藤孫次郎, 1889(明22))
- 地名編纂委員会 『角川日本地名大辞典33 岡山県』(角川学芸出版, 1989, ISBN 4040013301)
「山下 (津山市)」の例文・使い方・用例・文例
- 山下保険株式会社の営業本部の本部長の青木と申します。
- 私、石井コーポレーション株式会社の企画部の本部長の山下と申します。
- 必死で考えた企画は却下、一生懸命作った本は売れない。山下さんは八方塞がりの状態に陥っている。
- 山下泰裕と言えば, 言わずと知れた柔道家で, ロサンゼルス五輪で金メダルを取った人だ.
- 山下教授本日休講. 【掲示】
- 山下を流れる水
- 今春の受章者は女優の十(と)朱(あけ)幸(ゆき)代(よ)さん(60),小説家の渡辺淳一さん(69),ジャズピアニストの山下洋(よう)輔(すけ)さん(61)らを含んでいる。
- 田(た)尾(お)安(やす)志(し)氏が監督に,そして山下大(だい)輔(すけ)氏がヘッドコーチを務める予定だ。
- 巡航客船としての引退後,同船は,横浜港の山下公園に係留され,一般に公開された。
- 氷川丸は山下公園に留め置かれるが,同船の今後はまだ決まっていない。
- この7人の選手には1988年ソウル五輪男子100メートル背泳ぎの金メダリストである鈴木大(だい)地(ち)さんや1984年ロサンゼルス五輪の柔道金メダリストである山下泰(やす)裕(ひろ)さんなどがいる。
- 0系の流線型ボディを作った山下清(きよ)登(と)さん(73)は「この列車を見ると,古き良き時代とその当時に経験した苦労を思い出す。」と話した。
- 山下さんが芥(あくた)川(がわ)賞受賞,直(なお)木(き)賞は恩(おん)田(だ)さんに
- 山下澄(すみ)人(と)さん(50)が小説「しんせかい」で芥川賞を受賞した。
- 山下さんは青年時代に有名な脚本家の倉(くら)本(もと)聰(そう)さんが主(しゅ)宰(さい)する演劇塾に所属していた。
- 「しんせかい」では「山下スミト」がある演劇塾でさまざまな葛(かっ)藤(とう)を経験する。
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