宗派としての特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)
禅宗は、坐禅を中心とした修行による解脱を説くものであるため、その点において、自力の修行による解脱を説く初期仏教・上座部仏教との共通性がある。逆にいえば、修行を通じた苦からの解放を説くことは、初期仏教以来の仏教の基本的考え方であり、禅宗が新たにもたらしたものではない。また、坐禅との呼称を用いるかは別として、仏陀自身が瞑想を通じて悟りを開いたとされていることをはじめ、初期仏教以来、瞑想は仏道修行の手法として重視されてきたもので、坐禅を修行に取り入れていること自体も、禅宗固有の特徴とは言い難い。 一方で、禅宗は、あくまで大乗仏教の系譜にある。大乗仏教に属する多様な思想や宗派の中では、他力救済の性格の強い浄土信仰(日本では、法然・親鸞以来、浄土宗・浄土真宗の割合が多い)や呪術的要素も内包する法華経などの経典と比較すると、修行による自力救済を重視する側面において、初期仏教・上座部仏教と近似するという位置づけにあるが、思想・世界観としては、初期仏教・上座部仏教との間になお違いがある。例えば、禅宗では、一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)、つまり、全ての人間(や他の生物、さらに日本の仏教では山川といった無機の自然も)がそもそも仏性を有すると考えるが、これは大乗仏教の思想展開と東アジアへの伝播に伴って醸成された世界観であり、初期仏教や上座部仏教の世界観とは異なっている。また、禅宗では、清掃、畑仕事、調理などの労働行為を「作務(さむ)」と呼んで、積極的に修行の一部とするが、この点も初期仏教・上座部仏教には見られない考え方である。 そして、禅宗では、達磨の四聖句とされる不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしょうじょうぶつ)に表れているように、言語的・論理的な説明・伝達の不可能性を強調し、むしろ、言語・論理による分別智をもって煩悩そして苦の原因とした上、坐禅を中心とした修行を通じ、無分別の智慧に到達することを、自らの内にある仏性・禅那(ぜんな)の境地とする点にも、特色がある。 ここで、不立文字とは、文字・言葉の上には真実の仏法がなく、仏祖の言葉といえども、解釈によっていかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意である。そのため禅宗では中心的経典を立てず、教外別伝を原則として師資相承を重視するほか、臨機応変な以心伝心の方便などにも、宗派としての特徴が表れる。 「不立文字」も参照 ただし、達磨の教えとされる二入四行論が、自己修養への入り方として、修養には文章から得る所の知識・認識から入る理入(りにゅう)と、現実に於ける実践から入る行入(ぎょうにゅう)の2つがあるとしているように、修行・実践の導入などとして、言語的・論理的な知識獲得の有用性が一切否定されているわけではない点には留意が必要である。
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