学位論文・教授資格論文
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「マルティン・ハイデッガー」の記事における「学位論文・教授資格論文」の解説
1913年7月26日、指導教官はアルトゥール・シュナイダー教授を主査とし、副査ハインリヒ・リッケルトのもと学位論文『心理学主義の判断論──論理学への批判的・積極的寄与』を提出し、最優秀(summa cum laude)の評価を得た。ハイデッガーはこの学位論文において、判断は「論理学の細胞」で、「論理学の根源要素」であるとし、ヴィルヘルム・ヴント、ハインリッヒ・マイヤー、フランツ・ブレンターノ、人格主義倫理学者テオドール・リップス(Theodor Lipps)などは心理主義であるとして批判的に分析した。1913年1月にはヘリングハウス編『短編小説集』書評を書き、同年ニコライ・フォン・ブーブノフ(Nikolai von Bubnoff)『時間性と無時間性 Zeitlichkeit und Zeitlosigkeit』書評を書いた。シュナイダーはシュトラスブルク大学に移ったため、歴史学者ハインリヒ・フィンケがハイデッガーの面倒を見た。ハインリッヒ・フィンケはカトリック中央党員でゲルマン民族は国民的原則を世界史に再統合したことを偉大な業績と考えていた。博士課程学生ハイデッガーは、ハイデッガーの親友ラズロウスキーの師でもあったフィンケの講義「ルネサンスの時代」を受講した。 この頃の奨学金はシュナイダーと、フライブルク司教座教会首席司祭ユストゥス・クネヒトの仲介で「聖トマス・アクィナスに敬意を表するコンスタンティン=オルガ・フォン・シェツラー財団」から奨学金が斡旋され、授与にあたってはトマス・アクィナス教説を規範とすることが前提であり、ハイデッガーも願書にキリスト教哲学の研究に献身すると書き、1915年の願書でも「キリスト教カトリックの生活理想をめぐる将来の精神的闘いのために、スコラ学に蓄積された思想的富を活性化」すると書いた。 ハイデッガーの回想では1910年から1914年にかけての時代にはニーチェ「力への意思」、キルケゴール、ドストエフスキー、ヘーゲル、シェリング、リルケ、トラークル、ディルタイなどが読まれていた。この頃、カトリック哲学者のクレーメンス・ボイムカーとヨーゼフ・ガイザーと文通していた。 1914年7月、第一次世界大戦勃発。8月はじめハイデッガーは志願兵として登録したが、心臓発作のため入院後、登録を免除された。1914年にはフランツ・ブレンターノ『心的現象の分類』、シャルル・サントルール『カントとアリストテレス』書評、『カント語録』書評を執筆した。 1915年には国民軍として動員され、郵便監察業務を朝7時から夕方5時までこなし、1918年初頭まで続いた。1915年に教授資格論文(Habilitation)『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』を提出し、7月27日に試験講義「歴史科学における時間概念」を行った。主査は新カント派の西南ドイツ学派のリッケルトであった。また、リッケルトがハイデルベルク大学に転出した後にフライブルク大学に赴任したエドムント・フッサールに現象学を直接に学ぶ。1915年冬学期より私講師としてパルメニデス、カントのプロレゴメナを講義し、日中は動員されていたので、講義は夜行われた。聴講生にエルフリーデ・ペトリがいた。ハイデッガーが影響を受けたマックス・シェーラーはこの頃カトリックに改宗し1915年の「Der Genius des Krieges unde der deutsche Kriege (戦争の守護神とドイツの戦争)」において戦争を「形而上学的覚醒」に喩え、真の犠牲精神、真の愛を要求するもの、神へ至るものとして論じ、ドイツの勝利によってヨーロッパは再び覚醒すると論じた。またフッサールの弟子で1942年にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で死去したエーディト・シュタインは1917年2月9日のローマン・インガルデン宛書簡で民族は国家において組織され表現されるときほど力強いものはなく、国家とは自らの行動を律する自覚した民族のことであり、スパルタやローマ以来、プロイセンとドイツ帝国にみられる国家意識ほど健全なものは他に見られず、ドイツが戦争で敗北することは考えられないと書いており、ファリアスによればハイデッガーは政治的に無菌の世界でなく、こうしたフッサールの周囲での哲学的政治的環境にいたと述べている。 1915/16年冬学期にはハイデッガーは「古代哲学史」を講義し、1916年夏学期にはフライブルク大学の神学者エンゲルベルト・クレープスとアリストテレスについてのゼミナールを、1916/17年冬学期に「論理学の基本問題」を講じた。
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