学僧・弘実上人の薫陶を受ける
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「池田草庵」の記事における「学僧・弘実上人の薫陶を受ける」の解説
弘実上人はこの時期、『老子』、『荘子』、『韓非子』、『荀子』、『春秋左伝』、『書経』、『四書』などをはじめとする儒学の本81冊を購入し門弟の指導にあたっている。また、弘実上人は、自らも『仏法太平鑑』、『秘密要鑑』、『悉曇章相承口説』、『真言律行問答』等を著す学に秀でた高僧であった。満福寺は空海の開いた学校「綜藝種智院」の教義に則り仏教(真言宗)と儒学を教えていた。これは「内典(密教)と外典(儒教)の目指す方向は同じで、到達点も同じである」とする考え方によるもので、満福寺においても儒学は必須科目の一つであった。弘実上人は、広谷村の大庄屋・大橋惣右衛門家に京都の儒学者・相馬九方(そうま きゅうほう)が滞在していることを知り、天保元年(1830年)、門弟に儒学の講義を学ばせたが、草庵は、次第に仏教よりも儒学に興味を示し出山を願い出た。しかしこれは、仏・儒を共に学ぶという考え方からは隔たったものであり聞き入れられず、ついに天保2年(1831年)、草庵は寺を出奔し還俗、九方を追って京都へ向かった。その為、満福寺には、修行が達成したら草庵に与えられるはずであった『中院流傳授目録併聞書・弘補』が今も残されている。
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