奥村博史との出会いと扶養とは? わかりやすく解説

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奥村博史との出会いと扶養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 22:07 UTC 版)

平塚らいてう」の記事における「奥村博史との出会いと扶養」の解説

青鞜創刊の翌1912年明治45年5月5日読売新聞「新しい女」連載を開始し、第一回与謝野晶子パリ行き取り上げた。翌6日には、晶子出発様子を「ソコ足早に駆け付けたのは青鞜同人平塚明子で(中略列車の中へ入って叮嚀挨拶交換して居る。」などと報じた総勢500余名見送った)。翌6月の『中央公論』(与謝野晶子特集号)では、鴎外によって「樋口一葉さんが亡くなってから、女流すぐれた人を推すとなると、どうしても此人であらう。(中略)序だが、晶子さんと並べ称することが出来るかと思ふのは、平塚明子さんだ。(下略)」とまで評された。 もっとも、青鞜社に集まる女性が「五色の酒事件」や「吉原登楼事件」などの事件起こすと、平塚家には投石相次いだ。しかし、らいてうはそれをさほど意に介せず、「ビール一番沢呑むだのは矢張らいてうだった」と編集後記書いて社会挑発するだけの余裕があった。そのうち「新しい女」というレッテルを貼られるようになった。すると、らいてうは『中央公論』の1913年大正2年1月号に「私は新しい女である」という文章掲載する同時に婦人論を系統立てて勉強し始め同年の『青鞜』の全ての号には、付録として婦人問題特集組み込むようになった。しかし、『青鞜』の1913年2月号の付録福田英子が「共産が行われた暁には恋愛結婚自然に自由になりましょうと書き、「安寧秩序害すもの」として発禁処せられると、らいてうは父の怒りを買い、家を出て独立する準備始めることになった青鞜社は『青鞜』の他にも1912年大正元年)末に岡本かの子詩集かろきねたみ』を皮切りに、翌1913年3月に『青鞜小説集』などを出版している。『青踏』1912年5月-10月評論円窓」を発表1913年5月にらいてうの処女評論集円窓より』も出ているが、出版直後5月に「家族制度破壊し風俗壊乱するもの」として発禁処せられている。同書1913年6月『※<外字。とざし>ある窓にて』と改題して刊行された。 また、時期並行して1912年夏の26歳時に茅ヶ崎5歳年下画家志望美術学校に通う青年奥村博史出会い青鞜社自体巻き込んだ騒動ののちに事実婚夫婦別姓)で同居始めている(息子産まれた後に婚姻届提出し結婚)。らいてうはその顛末を『青鞜』の編集後記上で読者報告し同棲始めた直後1914年大正3年2月号では『独立するに就いて両親に』という私信を『青鞜誌上発表している。ここで、パートナー5歳年下画家奥村博史で「共同生活」を公表した結婚制度への反発から、入籍はせず、奥村二児もうけている。奥村病弱かつ絵はあまり売れず家計はらいてうの原稿収入頼みヒモ状態であったため、経済的な苦労多かった。これは、後述出産育児への国の支援在り方について、与謝野晶子らと激しい「母性保護論争」を繰り広げることに繋がっている。 独立後、奥村との家庭生活と『青鞜』での活動両立困難になり始めると、1915年大正4年1月号から伊藤野枝に『青鞜』の編集権譲った。『青鞜』は従来文芸雑誌とは別の強いて言えば無政府主義者論争誌」として活気付いたが、その1年後には、伊藤野枝交際始めた大杉栄が、以前より大杉交際していた神近市子刺される日蔭茶屋事件」があり、休刊することになった奥村との間には2児長男長女)をもうけたが、らいてうは従来結婚制度や「家」制度をよしとせず、平塚家から分家して戸主となり、2人の子供を私生児として自らの戸籍入れている。 らいてうは1917年発表した原稿避妊可否論ず」において優生学肯定的に取り上げ産児制限重要性説いた

※この「奥村博史との出会いと扶養」の解説は、「平塚らいてう」の解説の一部です。
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