大陸軍の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:42 UTC 版)
「ロングアイランドの戦い」の記事における「大陸軍の崩壊」の解説
午前9時、ワシントンはマンハッタン島からブルックリンに渡った。ワシントンはロングアイランドへの攻撃が陽動行動だと思っていた誤りを悟り、マンハッタン島からさらに多くの部隊をブルックリンに移動させるよう命令した。ワシントンが戦場のどこにいたか、証言が様々なので不明だが、最も可能性が高いのは戦闘を良く見ることができたブルックリンハイツである。 西側の大陸軍の右翼では、スターリングが依然としてグラントの部隊に対して戦線を保持していた。スターリングは4時間も踏ん張ったがこの時点でもイギリス軍が側面を衝いたことを知らず、イギリス軍が自軍の陣地を奪取できなかったので、この日の戦闘に勝ちつつあるとすら思っている者もいた。しかし、午前11時までにグラント隊は2,000名の海兵で補充されてスターリング隊の中央を攻撃した。スターリング隊はその左翼をドイツ人傭兵部隊にも攻撃されていた。スターリング隊は後退したが、この時にはその後方にもイギリス兵が迫っていた。残された逃走ルートは幅80ヤード (72 m) の湿地とクリークを越えていくものだけであり、その向こうがブルックリンハイツだった。スターリングはメリーランド連隊の250名を残し、他の全ての兵士にクリークを渡るよう命令した。メリーランド連隊の250名がイギリス軍を攻撃し、他の者が撤退する時間を稼いだ。スターリングは250名を率いてイギリス軍に対し6度の連続攻撃を行い、部隊が殲滅されるまで戦った。ワシントンが近くの丘からその光景を見ており、「おお神よ、何と勇敢な仲間をこの日に失わなければならないのか!」と言ったとされている。スターリングは残っていた兵士にどんな手段を使ってもブルックリンの戦線まで後退するよう命令した。兵士の何人かは銃火の下を泥に潜って湿地を渡ろうと努め、泳げない者は捕虜になった。スターリングは降伏を考え、イギリス軍には降伏したくなかったので、その戦線を突き破ってフォン・ハイスターの率いるドイツ人傭兵部隊の所まで行き、そこで降伏した。イギリス軍の兵士達は前進を止めることを望まなかったが、ハウはその多くの士官達がブルックリンハイツまで押し進むべきと信じた意志にも反して全軍停止を命令した。ハウは士官達の意見に同意しなかった。塹壕で待ち構える大陸軍に襲い掛かるのではなく、それを突き破るための秩序だった包囲戦の準備を始めた。 ハウが攻撃を続行しなかったことと、その理由についてその後大いに議論された。ハウはバンカーヒルの戦いと類似した条件下で大陸軍を攻撃した場合に大きな犠牲を出すことを避けたかった可能性が強い。またヨーロッパの紳士的な士官の伝統に従い、ワシントンにその立場が絶望的であると判断させ降伏させる機会を与えたかった可能性もある。ハウは、包囲された大陸軍を攻撃するのは「軽率で犯罪的だ」と記していた。
※この「大陸軍の崩壊」の解説は、「ロングアイランドの戦い」の解説の一部です。
「大陸軍の崩壊」を含む「ロングアイランドの戦い」の記事については、「ロングアイランドの戦い」の概要を参照ください。
大陸軍の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 03:08 UTC 版)
砦の南と東にいたマゴーの外郭部隊が崩壊したことで、大陸軍全体が砦の安全と考えられる方向へ撤退を始めた。砦の南では第3防御線が完成していなかったので、キャドワラダー隊は砦まで逃げ戻るしか方法が無かった。砦の北では、ローリングスのライフル銃隊が交戦を続けていたがぎりぎりの状態であり、前よりはライフル銃兵の数が減っており、大量に発砲したためにそのライフル銃も詰まってきていたので、兵士の何人かは攻撃してくるドイツ兵に向かって丘の上から岩を落とすしかなくなった。ワシントン砦の砲台はフリゲート艦パールの大砲で沈黙させられた。この時までにライフル銃隊の射撃もほとんど止まり、ドイツ兵が緩りと丘を登って大陸軍兵との白兵戦に移った。ドイツ兵は大陸軍を圧倒し丘の頂上に至ると堡塁に銃剣突撃で殺到し、速やかに堡塁を占領した。 川の対岸から戦闘の様子を見ていたワシントンは、砦の部隊が夜の間に脱出できるように、マゴーに夜まで砦を保持するよう伝令を送った。この時までにドイツ兵が砦とハドソン川の間の陣地を確保していた。ヨハン・ラールは大陸軍に対してクニプハウゼンの下に降るよう求める栄誉を与えられた。ラールは英語とフランス語を話せるホーエンシュタイン大尉に休戦の旗を持たせて派遣し、砦の降伏を要求させた。ホーエンシュタインはキャドワラダーと会見し、キャドワラダーはマゴーが部下と相談するための4時間を与えてくれるよう求めた。ホーエンシュタインはその要請を拒否し、決断を下すための半時間のみを許した。マゴーが士官達と相談している時にワシントンの伝令であるジョン・グーチ大尉がワシントンの夜まで砦を保持せよという命令を持って到着した。まさに砦が完全に包囲される直前だった。マゴーはその兵士達のために私有物を身に着けておくことだけを許される認められやすい降伏条件を出したが、これも拒否された。マゴーは午後3時に降伏するという決断を宣言し、午後4時に砦のアメリカ国旗が降ろされて、イギリス国旗に変えられた。この降伏の前にジョン・グーチは砦の側面から飛び降り、崖下まで転がり落りて銃火や銃剣を避け、何とか船に乗り、その後短時間でリー砦に到着した。
※この「大陸軍の崩壊」の解説は、「ワシントン砦の戦い」の解説の一部です。
「大陸軍の崩壊」を含む「ワシントン砦の戦い」の記事については、「ワシントン砦の戦い」の概要を参照ください。
- 大陸軍の崩壊のページへのリンク