砦の降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/14 15:05 UTC 版)
「セントジョンズ砦包囲戦」の記事における「砦の降伏」の解説
10月下旬、大陸軍の勢力はデイビッド・ウースター准将を含むニューヨークとコネチカットから500名の援軍が到着して再度膨れ上がった。この報せに、新しい砲台が砦に向けられたこと、救援軍が失敗したという報せや砦の物資が減少していたことが組み合わされ、砦の状態は絶望的になっていた。 11月1日、モントゴメリーはカールトンが救援を試みて失敗したときに捕らえた捕虜に休戦の白旗を持たせ、砦に送り込んだ。この捕虜は、モントゴメリーが書いた救援は来そうに無いことを指摘し、降伏の交渉を行うことを提案する手紙を届けた。プレストンはその手紙の内容を全面的には信用せず、部下の大尉の一人をモントゴメリーとの交渉に送り出した。プレストンの提案は4日間休戦し、その後に救援が来なければ守備隊が降伏するというものだったが、季節が冬に向かっているときだったのでモントゴメリーはこれを拒否した。モントゴメリーは伝令の大尉にカールトンの遠征隊から捕らえた別の捕虜に事情を聞かせ、その捕虜は先に送られた捕虜が報告したことを肯定した。その後でモントゴメリーは即座の降伏要求を繰り返し、その条件は翌日に書き上げると伝えた。 プレストンの部隊は11月3日に砦を出てきて、武器を渡して降伏した。正規兵は正装に身を包んでいた。プレストンは536名の将兵、79名のカナダ人と8名のイギリス人志願兵と共に降伏した。
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