砦下の通過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:03 UTC 版)
8月5日夜明け、条件は攻撃のために理想的に近いものとなった。潮流が湾内に入る方向だったので、ファラガットは蒸気圧を減らさせ、ボイラーが損傷を受けた場合の被害を最小にしようとした。速度は潮流に任せることにした。南西の微風があり、艦隊の大砲から出る煙をモーガン砦の砲兵の正面に吹き寄せる状態だった。装甲艦テクムセを先頭にマンハッタン、ウィニベイゴ、チカソーが続き、艦隊は砦に接近した。 第2列の先頭はブルックリンであり、オクタララと繋索されていた。ブルックリンは前向きに砲撃できる前面砲を4門搭載しており、他の大型艦船は2門だけだったので、ブルックリンが先頭に立った。さらにファラガットがその報告書で「排障器」と呼んだ機雷を排除する装置を取り付けてもいた。それに続くのはハートフォードと'メタコメット、リッチモンドとポートロイヤル、ラッカワナとセミノール、モノンガヘラとケネベック、オシピーとイタスカ、オナイダとガリーナという組み合わせだった。 南軍の艦船は攻撃の用意ができており、機雷原を北軍艦隊が通過するのを阻止できる位置に動いた。午前6時47分、テクムセが最初の砲弾を放ち、砦がこれに応えて戦闘が始まった。ブルックリンを除く第2列の艦船は南軍艦船の砲撃に対抗できなかったので、砦への砲撃に集中した。おそらく砦からの砲撃が鎮圧されたので、北軍艦隊が受けた損傷の大半は南軍艦船からのものだった。 戦闘開始から間もなく、テクムセが砦の下を過ぎ、テネシーに向かった。明らかにそれが受けていた命令の一部に従ったものだった。艦長のチュニス・A・M・クレイブン海軍中佐は、機雷原の東に留まるよう指示を受けていたのを無視したか忘れており、直接機雷原を横切る方向に持って行った。ほぼその直後に機雷がテクムセ船殻下で爆発し、艦は浸水し、2、3分の内に沈んだ。114人の乗組員のうち21人のみが救助された。クレイブンも助からなかった方に含まれており、その決断について言い訳する機会が無かった 。 ブルックリン艦長のジェイムズ・アルデン海軍大佐は明らかに矛盾する命令に混乱していた。命令は装甲艦の左舷に留まり、また機雷原の右手に留まることになっており、右舷の装甲艦が無くなった今は矛盾が生じていた。アルデンは自艦を停船させてファラガットに指示を求める信号を送った。ファラガットはその旗艦を停船させなかった。艦長のパーシバル・ドレイトンにブルックリンを回り込んでハートフォードを列の先頭につけるよう命じた。このことで、今テクムセを沈めたばかりの機雷原に進むことになったが、ファラガットは機雷の大半があまりに長く水中にあったので、機能しないという確信があった。その賭が成功し、14艦全体が無傷で機雷原を通り過ぎた。 テネシーは北軍艦船が通り過ぎるときに衝角攻撃を行うには速度が出なかった。ファラガットは艦隊の小さく速度の速い砲艦に南軍の砲艦3艦の攻撃を命じた。ハートフォードと繋いでいたロープを解いたメタコメットが敵艦のセルマを捕獲した。砲艦からの砲撃がゲインズに命中したので、海岸に座礁していなければ沈没したものと見られた。その後乗組員が火を付けて燃やした。モーガンは何の抵抗もできず、モーガン砦の大砲から保護される水域に逃亡した。次の夜に碇泊する北軍艦隊の横をすり抜けて、モービル市まで逃げていった。
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