砦の防御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 08:19 UTC 版)
イギリス軍が最初にエリー砦を造ったときは、2階建て兵舎2棟を強化された砲台で繋いだものだった。兵舎は厚い石の幕壁で繋がれ、中央に主玄関があった。砦の背面(エリー湖から遠い面)は開放された塁道であり、砦を囲む空堀の底からの高さが6フィート (1.8 m) あった。また隅には堡塁が2つあった。この堡塁は完成して居らず、ほとんど保護になっていなかった。砦の全面は大きな土壁で守られ、前向き火砲陣地があった。砦の中央を土壁と堀で仕切られていたが、これも未完成であり、背面の守りは出来合いの木製壁あるいは土盛りであり、その幾らかは高さがやっと3.3フィート (1.0 m) しかなかった。これを中央にある凸角堡の火砲陣地が補っていた。砦には前部で6門の大砲があった。 砦を囲む空堀はその中央に高さ9フィート (2.7 m) の木製壁があった。この壁は外側に傾いており、敵が堀に跳び込むのを防ぐよう先が尖らせてあった。壁の上下には尖らせた棒が植えられ、敵兵を動けなくしたり、傷つけたりするように仕組まれていた。堀は守備隊のゴミ捨て場と下水道にも使われ、その底は滑りやすく臭いの酷い湿地となり、それで敵の動きを遅らせ、さらには負傷した場合に感染症をもたらすことも考えられた。 アメリカ軍は砦を占領してから守りをかなり改良しており、このときはその改良努力を倍加させていた。砦は小さくてアメリカ軍全軍を収容できなかったので、土壁を南に 800 m 伸ばし、スネークヒルと呼ばれた砂の隆起部に届かせて、そこに砲台を建設した。陣地の北端を守るために、北東の稜堡を湖まで繋ぐ土壁を建設し、そこにもう1つ砲台を設けて、その指揮官であるアメリカ陸軍工兵司令部のデイビッド・ダグラス中尉に因んで、ダグラス砲台と名付けた。倒木を使った逆茂木が土壁の前に置かれた。 包囲線が敷かれた時までに、アメリカ軍は砦の背面に3つの木造小型シェルターを建設し、防御工作物や堡塁も強化して、陣地をさらに強く布いていた。
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