中世の攻城兵器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 01:34 UTC 版)
中世の攻城兵器の設計には多数のカタパルトが含まれる。これは例えばマンゴネル、オナガー、バリスタ、また紀元前3世紀に中国で初めて設計され、西暦4世紀にヨーロッパにもたらされた牽引式のトレビュシェット、起源は不明ながらMardi bin Ali al-Tarsusiにより12世紀に最初に記述された平衡式のトレビュシェットなどである。これらの装置は、石垣を叩き潰す必要上、大きな投射物を飛ばすために機械的なエネルギーを用いた。破城槌や、木製の塔に車輪を装備した攻城塔もまた用いられ、これらは攻撃者を城壁に登らせ、超えるのを助けた。またいくぶん敵の矢を防御した。他の兵器にはピタードが挙げられる。これは門や壁を爆破するよう特に設計された火具である。ピタードは、要塞の表面上に直接設置されなければならなかった。また、弓兵や歩兵が城に接近するために、雨戸を並べたような形状のマントレットと呼ばれるシェルターや、パヴィスと呼ばれる支柱付きの大楯が用いられた。これらには車輪を付けて移動可能にしたものもあった。 中世の時代の典型的な軍事の対決とは、敵対者の城に包囲陣を構える一方的なものだった。本格的に守備された場合、攻撃者達は、城を直接攻撃するか、食料の輸送を絶って人々を飢えさせるか、特別に設計された攻城兵器を用いて城砦の防御能力を破壊もしくは回避することを選択した。 他の戦術の選択としては、城壁に対して、個々の石を一緒に結びつけているセメントを溶かすよう熱源を設置することがあった。それにより攻撃者達はすぐに打ち崩すことができた。また他に間接的な手段として、坑道戦術の実行があった。これは基礎の弱い城壁の下へとトンネルを掘り、防御物を破壊するものである。 第3の戦術は、罹病した動物や人間の死骸を、城壁を越えて打ち込むことである。これにより疫病を流行らせ、防御側に降伏するよう強制した。これは生物兵器を使用した戦争の最初の形態であった。
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